ところが、当時のローマ帝国皇帝のフラウィウス・ユリウス・ウァレンス(在位364-378年)に、このゴート族の一部であるテルヴィンギ族を分断するだけの兵力がなかった。しかも、皇帝ウァレンスには労働力や兵隊としてすぐにでも活用したいという意図があったことから、分断せずにまとまって住むことを許可したのである。ここで誕生したのが、いわゆる「難民キャンプ」である。

 しかし、ローマ帝国は、難民状態の「野蛮人」であるテルヴィンギ族に対し、食料の中抜きのような腐敗や汚職のせいで、保護が十分に行き渡らず、難民キャンプで暴動が発生する。この暴動を契機として、テルヴィンギ族は本格的な反乱を起こし、国境の外にいた西ゴート族たちと呼応しながら、ローマ帝国の内部で自治権を確立させることに成功した。

 そしてゴート族たちは、ついにローマ軍と現在のトルコ領内で行われた「ハドリアノポリスの戦い」(378年)に勝って、皇帝ウァレンスを殺害した。さらに、410年には「ローマ略奪」により、ローマはゴート族の手に落ちた。その後も東欧からやってくる部族たちの侵入が続き、ついに、ローマ帝国は決定的な崩壊を迎えることになる。

 この歴史から得られる教訓は、流入し続ける難民の扱いを間違えて同化に失敗すれば、それが確実に国家の生存に直結するような大きな政治問題へと発展する、ということである。

 もちろん、スケールの大きさは違えども、現代のローマ帝国の末裔であるドイツ連邦が、同じような形で移民・難民問題に悩まされ始めていることは、実に興味深い。例えば、最近のドイツで注目されているのは、移民・難民による女性暴行事件である。
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 特に象徴的だったのが、6月6日に南西部のヴィースバーデンという都市で14歳の少女が暴行された上、殺害された事件である。難民申請中だったイラク人の容疑者は、事件2日後に高飛びしていた先の同国のクルド自治区で身柄を拘束された。

 その他にも、ここ1、2年で亡命希望者(asylum seekers)による性的犯罪が目立つ。実際のドイツ国内の犯罪率は全体的に減少しているのにもかかわらず、増加しているのである。とりわけ、このような難民や亡命希望者の男性による性的犯罪は、ドイツ国内で「中東系の男性に襲われるドイツの白人女性」というバイアス(偏り)の構図に拍車をかけ、実に悩ましい問題となっている。

 また、宗教的にも「イスラム教徒がキリスト教徒を襲う」という構図があるだけではない。欧州のリベラルな人々に対しても、「寛大な多元主義」を守るか、それとも「女性の人権」を守るかを迫っているという点で、強烈なジレンマを突きつけているともいえる。

 この問題に関しては、ドイツ与党でメルケル首相が率いるキリスト教民主同盟(CDU)の幹部、クレックナー食糧・農業相も、政府に対して、移民・難民の受け入れについて慎重にすべきだというトーンに変わってきている。メルケル氏の後継者の一人といわれるクレックナー氏ですら、有権者たちが直面する異文化との摩擦を目の当たりにして、政策転換を視野に入れ始めているのである。