彼女が最近出版した本の中では、実際問題として、娘を遠足に行かせなかった移民や難民の両親や、女性教師と握手しなかった男親の存在などを挙げている。

 また、全体的に犯罪率は減っているとはいえ、バイエルン州では、2017年前期だけで性犯罪が50%上昇した。しかも、そのうち18%が移民や難民によるものという統計結果も出ている。ドイツは、全体的には「安全」になっているのかもしれないが、それがドイツ国民全体の「安心」にはつながっていないことがうかがえる。

 ここで、今ドイツで迫られている移民・難民に関する論点を整理すると、大きく二つの議論に分かれる。一つが「移民は国力になるし、難民受け入れは義務である」というものである。ドイツをはじめとする欧米の先進国による議論のエッセンスは、まさにこの言葉に集約されている。つまり、「経済」と「倫理・道徳」というリベラル的な観点から積極的に受け入れるべきだというものである。

 もう一つが「国境を開放してしまえば、ますます社会問題が深刻になる」という反対意見である。要するに「すでに生活している国民の安全を優先せよ」ということだ。だが、この主張をする人々は、とりわけ倫理・道徳面での話を無視していると感じられ、あまりいいイメージを持たれにくい。

 確かに、移民や難民問題において、日本とドイツ、さらにはローマ帝国までも比較することは無理な話である。だが、それでも、冒頭で記したように「価値観や生活レベル、それに文化の違う人々を、どこまで社会に溶け込ませることができるか」を真剣に考えなければならないのである。
独総選挙で躍進した反移民政党「ドイツのための選択肢」(AfD)に抗議する人々=2017年9月、独ベルリン
独総選挙で躍進した反移民政党「ドイツのための選択肢」(AfD)に抗議する人々=2017年9月、独ベルリン
 果たして、われわれはゴート族が侵入してくるまでのローマ帝国のように、外国から来る人々を上手に同化させることができるのだろうか。それとも、ドイツのように、移民や難民が増えて悩むことになるのだろうか。

 移民や難民の適応や同化を間違えれば、いったいどうなるのか。グローバル化している現代だからこそ、われわれも真剣に考えざるを得ないのかもしれない。