安倍政権が高い支持率を維持する理由は、こうした経済から外交に至るまでの実績だけではない。やはり、何といっても、第二次安倍内閣に先立つ民主党政権の「悪夢の3年3カ月」の影響は甚大である。国民は、口から出まかせの政権公約には二度と騙されないぞ、と思っているし、政権担当能力というもののハードルの高さを痛感しているからだ。

 1955年の保守合同以来、40年近く続いた自民党一党独裁が崩壊したのは、ちょうど4半世紀前の93年だった。それから間もない96年に設立された民主党は、野党第一党として政局をリードし、2009年には政権交代を果たした。しかし、その政権運営は惨憺(さんたん)たるもので、「悪夢の3年3カ月」として国民の記憶に深く刻まれてしまった。

 当時の長妻昭厚労相が主導した派遣労働者に係る専門26業務派遣適正化プラン、いわゆる「長妻プラン」によって50万人もの専門労働者が職を追われ、自民党政権が実現してきた累次の改正案にことごとく反対してきた自衛隊法については指一本触れることさえできなかった。

 自分たちが死ぬほど騒いで反対した自衛隊法だったが、いざ政権を担う段になると、3年3カ月の間、何事もなかったように、そのまま自衛隊法を運用し続けたのだ。

 朝日新聞は、政府職員や自民党関係者が「安倍の私的機関」のスタッフかのように動くと批判するが、官僚たちが選挙で選ばれた政権トップを支えるのは当然だ。そもそも官僚たちは、二度と民主党政権のような無能な政府に戻ることがないよう安倍政権を支えると誓い合ってきたのである。

 私が、民主党政権の閣僚たちの統治能力の低さにあきれ果て、21年務めてきた官界から政治に転じたのは、東日本大震災が発災した2011年3月だった。日本維新の会の結党に参加し総選挙で初当選を果たした12年12月、まさに第二次安倍内閣が樹立された頃の霞が関の雰囲気を、私はよく覚えている。

 「悪夢の3年3カ月」から解放された官僚たちは、久しぶりに清々しい空気を吸い込み、二度と民主党政権のような悲劇を繰り返してはならない、と自らに言い聞かせたものである。もちろん、それは「安倍の私的機関」(朝日新聞)としてではない。国家公務員として、国益に奉じるためである。
平成23年3月13日、東日本大震災の緊急災害対策本部会合であいさつする菅直人首相(当時)=首相官邸
平成23年3月13日、東日本大震災の緊急災害対策本部会合であいさつする菅直人首相(当時)=首相官邸
 以上のように、官僚たちが懸命に安倍政権を支えてきた、と書くと、佐川宣寿前理財局長による決裁文書の改ざんや柳瀬唯夫元総理秘書官による国会答弁の混乱などの事例を挙げて、「忖度(そんたく)」云々と騒ぎ立てる向きがあるかもしれない。しかし、こうした官僚たちによる過剰な国会対策は、安倍政権の問題というよりも、自民党国対の「事なかれ主義」にこそ、その元凶がある。

 いわゆる「55年体制」が終焉を迎えた1993年から既に4半世紀が経過したが、昨年10月の総選挙を経て政権交代を旗印とする民主党(民進党)は瓦解し、永田町は再び、万年与党と万年野党が猿芝居を繰り広げるだけの「非生産的」な国会に成り下がってしまった。

 自民党と立憲民主党は、かつての自民党と社会党のように、表では相争っているように振る舞いながら、裏では政府提出法案の成立を図る見返りに野党に抵抗という見せ場を用意する、予定調和的な猿芝居といえる新「55年体制」を演じている。