第六が、55年体制が復活していることである。この場合の55年体制とは、「常に衆議院の過半数を自民党が占め、野党第一党が“やられ役”を演じる政治運営」のことである。自民党は与党でいることが唯一の存在意義である。

 対して、戦後政治において野党第一党の座を占めてきた、社会党~民進党~立憲民主党の系譜には共通点がある。政権を獲って国政を担う責任感は皆無だが、野党第一党の座は死守したい。そうすれば他人の批判だけで飯が食えるからである。

 この意味では、上にあげた三党よりは、旧民主党はマシである。政権を獲る意思があったという一点で。ところが、民進党や立憲民主党は、すっかり社会党に先祖返りした。当選回数が若い議員はともかく、地盤が安定している幹部たちは落選の心配がないのだから、野党第一党の座さえ守れば党勢拡大のような面倒くさいことは考えてもいないのだ。

 かつて、「まさか社会党に政権を渡すような非常識はできない」という理屈がまかり通り、自民党の腐敗が悪化し続けた。今はどうか。まったく同じ構造ではないか。

 そして、55年体制で忘れられがちな側面がある。政界では保守政党の自民党が与党で、リベラル(昔は革新を名乗った)が“やられ役”だった。その反面、言論界では革新が多数派で、保守は「やられ役」だったのだ。かつては、自民党を革新の立場から論評するのがインテリであるとの風潮さえあった。

 では、今はどうか。確かに、インターネットの普及で保守側の言論の発信も可能になった。ネットは右翼的言論が強いから「ネトウヨ」、テレビを見ている層は左翼的言論に影響されるから「テレサヨ」と呼ばれる。

 言論界の主流であるテレサヨは「安倍政権は0点だから、何にでも反対しなければならない」と主張し、ネトウヨは「安倍政権は100点なのだから、保守は安倍政権を全肯定しなければならない。一つでも批判する奴はサヨクだ」と罵る。結局、テレサヨは「安倍政権にケチをつけているだけ」であり、ネトウヨは「安倍政権にケチをつけている勢力にケチをつけているだけ」ではないか。

安倍晋三首相
安倍晋三首相
 しかし、人間界で起こることの評価に100点や0点があるだろうか。1~99点の間の膨大な中間地帯にこそ、正解があるのではないか。結果、冷静な議論はかき消される。

 真の権力を握る勢力、すなわち法制局や主計局、創価学会―の既得権益を脅かさないという条件で安倍政権は長期化を認められ、国民からも消去法で選ばれる。「別に安倍でいいではないか?」と。結果、55年体制の劣化コピーの出来上がりである。

 こうした言論は、熱心すぎる安倍支持者の怒りを買うだろうが、知ったことではない。安倍政権を支えてきたのは積極的な安倍支持者ではない。そのような勢力は「ノイジーホシュノリティー」にすぎない。安倍政権は、消極的な支持を得ることがてきたからこそ、これまで存続できたのである。それが、安倍政権が倒れない「唯一の積極的な理由」ではなかろうか。

 安倍政権には、勝利の方程式がある。すなわち、「日銀が金融緩和をする→株価が上がる→支持率が上がる→選挙に勝てる→誰も引きずりおろせない」である。「株価連動政権」と呼ばれるゆえんである。