大月隆寛(民俗学者、札幌国際大学人文学部教授)

 「尊い」。そうとしか言いようがない。

 今に始まったこっちゃない。随分前からそうだった。赤地に星散らしのあの勝負服は、われら地方競馬巡礼衆にとっては、ただひたすら「尊い」のだ。

 的場文男、言わずと知れた「大井のカミサマ」。南関東の、そして「地方競馬の至宝」と褒め称えることは簡単だけれども、でもやっぱり、的場文男は「大井のジョッキー」守護神なのだ、と言っておきたくなる。

 彼がその記録を破るだろう、と誰もが信じていた。あの生涯7151勝を挙げた佐々木竹見が現役時代、彼は所属が川崎競馬であっても、どこか地方競馬を代表する丹精な「顔」だった。それに比べて、同じ時期、大井競馬を代表する名手であり、佐々木と遜色ない成績を誇っていた高橋三郎はどこか「大井のサブちゃん」的存在だった。

 それと同じような意味で、的場もまた「大井の的ちゃん」なのだと思う。たとえ成績も名声もとっくに全国区、昨今ではすでにニッポン競馬の生きた伝説になっているのだとしてもだ。

1990年9月、中央競馬の重賞、
オールカマーに出走した大井所属の
ジョージモナークで2着に入った的場文男騎手
 とにかく饒舌(じょうぜつ)である。昔からそうだったし、今もそれは変わらない。ノリヤクというもの、殊に地方のそれはおおむね寡黙で用心深くて、そうでなくても口下手で能書きの少ないのが割と普通なのだが、的場文男は違う。口数が多く、よくしゃべる。

 といって、ありがちなセールストークなどともちょっと違う。相手が誰であっても基本、同じ調子で変わらないし、何より腰も頭もぐっと低い。若いころの武豊が大井で初めて騎乗したとき、「ユタカさん、ユタカさん」と率先して声を掛けていたのを今でも覚えている。

 引退して調教師になっていく同輩や後輩の、たとえ現役時代は彼よりずっとさえない成績だった元騎手に対しても、「センセイ、センセイ」ときちんと立てた応対をする。それが嫌味でも何でもなく、自然体なのだ。