そのようなとき、相対する人はストレスを感じたり不安になる。そもそも私たちは、自分と考えや価値観の共通点がある人と一緒にいることを好む動物である。なぜなら、その方が互いの齟齬(そご)に葛藤せずに済み、楽だからだ。「気の合う友人の関係」というのは、まさに居心地がよいからこそ成立するものなのである。

 他人との間に違和感やストレス、不安を感じた際、当然人はそれを何らかの形で解消したくなる。コミュニケーション上の齟齬を、会話を重ねることで解消されれば一番良いが、おそらく山根氏のような相手では、どんなに言葉を重ねても話の内容で解消できることは多くはないであろう。山根氏から論理的に理解不能な怒りや不満の表出もあるとすれば、なおさらそれは難しい。

 となれば、下の立場にいる人間は、「中身がよく分からなくても同意しておこう」とか「とにかく怒らせないことを重視しよう」と考え始める。つまり、いわゆる「事なかれコミュニケーション」を取ることによって、自分にとって少しでも心地よい関係性に転化させていかざるを得ないのである。

 健全な組織では、上司が部下に分かりやすく、理解しやすい説明をすることによって、スムーズなコミュニケーションが成立している。一方で、分かりにくいコミュニケーションスタイルを取ることで、逆にトップの思い通りに組織が展開する場合もある。

 まさに、この状況を現ボクシング連盟が体現してしまっているのではないだろうか。民主的なはずの公的組織のあるべき姿からすると、皮肉なありさまと言わざるを得ない。

自宅前で取材に応える日本ボクシング連盟の山根明会長=2018年8月
自宅前で取材に応える日本ボクシング連盟の山根明会長=2018年8月
 以上のような独善的なコミュニケーション術を支えているのは、他ならぬ山根氏自身の「万能感」であろう。「自分が何でもできる」という感覚は、彼自身の自己愛の強さからきているのか。

 あるいは、これまでの人生の中で自己実現できてこなかった代償、つまり欲求不満の解消なのか、はたまた単なる勘違いか。いったい何が本質的なのかということについては推測の域を出ない。

 しかしながら、これまでの山根氏の振る舞いは、彼自身の理想像や憧れを追求した姿であることは間違いない。「男・山根明」「歴史の男」と、自身のことを自らが客体的に英雄視して語る姿からも、そのことは明らかである。