しかしながら、放映権料を含めたNCAAの収入は加盟する全大学に配分されるシステムが確立されており、スチューデント・アスリート(選手)たちの教育的資金に充当されている。その考え方は、高校野球はもちろんのこと、現在わが国で創設が取り沙汰される「日本版NCAA」とも大きく異なる。

 そもそも、高校野球や箱根駅伝に代表されるわが国のスポーツイベントの多くは、メディアが主催者となって運営されている。もちろん、前者は朝日新聞社と毎日新聞社で後者は読売新聞社、ともにわが国を代表するメディアである。

 主管する競技団体から見れば、主催メディアとのタッグは大会PRには都合のいい存在だ。しかしながら、メディアの事情による過密スケジュールや過剰なドラマ化により、さまざまなリスクが生じているのも事実である。

 今こそ、競技統括団体である日本高校野球連盟の「自立」と、非営利組織としてのマネジメントが問われている。例えば、先述の「マーチ・マッドネス」のような地域分散型トーナメント方式にして、ベスト4の高校だけ1カ所に集結して試合するようなシステムはどうだろうか。

 聖地化された甲子園球場も、数年に1回の開催でいいのではないだろうか。全英オープンゴルフでも、「聖地」セント・アンドリュースゴルフ場では5年に1回の開催であり、かえって聖地としてのブランドをさらに高めている。

 また、米国のような放映権ビジネスが成り立たないといった、わが国のスポーツビジネスの発展にも大きな弊害を及ぼしてきた。甲子園を頂点とした高校野球も、スポーツビジネスの視点で考えれば、どのプロスポーツイベントよりもはるかに大きな収益が見込まれるはずだ。

 日本高野連が、非営利団体の本分であるリソース(資源)の還元と循環を目的に放映権やスポンサービジネスなど収益強化に努める。そうして上げた収益を分配することで、各地域への経済的支援と、教員や指導者、選手などスポーツ環境の支援が可能になる。

日本高野連の八田英二会長=2018年6月撮影
 そうなれば、一メディアや資金力のある学校法人だけではなく、大会に集う全ての人々が多様な恩恵を享受することができる。それが本来のスポーツの目的であり、機能なのである。

 筆者は、甲子園大会が日本の野球の高度化と大衆化に貢献してきたことについて否定するつもりはない。しかし、主催メディアが100年かけて築き上げた甲子園という「疑似的聖地」で、故障や燃え尽き症候群の影響により、将来有望なアスリートの競技生活を終わらせてきたことも事実である。つまり、高校野球が選手たちのキャリア形成にも大きな影響を及ぼしているのである。

 これらを鑑みれば、甲子園大会が掲げてきた教育的役割など、もはや「伝説」としかいいようがない。100回も続けたこの大会もそろそろ変革が必要ではないだろうか。