2018年08月20日 14:24 公開

アフリカ出身の黒人として初めて国連事務総長を務めたコフィ・アナン氏が18日、死去した。80歳だった。アナン氏は史上唯一の黒人事務総長経験者でもあった。

コフィ・アナン財団によると、アナン氏は「短い闘病を経て18日、安らかに息を引き取った」という。

アナン氏は1997年から2006年まで国連事務総長を2期務め、人権問題への取り組みでノーベル平和賞を受賞した。また事務総長退任後は国連とアラブ連盟のシリア問題合同特使となり、同地域における紛争解決手段の模索を先導した。

同氏の母国ガーナは、国全体の1週間の服喪を宣言した。

コフィ・アナン財団はアナン氏死去の発表声明で、同氏を「世界的な政治家で、より公平で平和に満ちた世界のための人生をかけた闘いに全力を注いだ国際主義者」と表現した

「アナン氏は、苦難や不足のあるところにはどこにでも救いの手を伸ばし、深い思いやりと共感を持って多くの人々と触れ合った」

アナン氏はスイスのベルン市内にある病院で息を引き取った。同氏は近年、ジュネーブ近郊で生活していた。

また同氏は2001年、国連の活性化に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞している。同時期の2000年代初頭にはイラク戦争の開戦やHIV・エイズの流行があった。

アナン氏は、自分の最も偉大な功績にミレニアム開発目標の採択を挙げている。ミレニアム開発目標により、貧困や幼児死亡率などの問題に対する国際的な達成目標が史上初めて掲げられた。

同氏はしかし、批判と無縁だったわけではなかった。批判者は、1990年代に起こったルワンダ虐殺を国連が止められなかったことはアナン氏の責任とした。アナン氏はこの時期、国連平和維持活動(PKO)担当事務次長を務めていた。

さらに、米国が主導したイラク侵攻の後には、同氏と同氏の息子が「石油食料交換プログラムにおける不正疑惑」に関与したとして批判され、辞任要求も上がった。ただアナン氏は後に潔白が認められた

80歳の誕生日を期に4月に行われたBBCハードトークとのインタビューで、アナン氏は国連の欠点を認め、国連が「改善できるし、完璧ではないが、存在しなかったら作らなければならない組織だ」と述べた。

「私は断固とした楽観主義者だ。楽観主義者として生まれ、これからも楽観主義者であり続ける」と同氏は付け加えた。

いち早く哀悼の意を表明したアントニオ・グテーレス現国連事務総長は、アナン氏が「良い方向へ導く力」だったと述べた。

グテーレス事務総長は声明で、「多くの点で、コフィ・アナンは国連そのものだった。アナン氏は組織内で上り詰めると、比類なき尊厳と決断力で、国連を新たな千年紀に導いた」と述べた。

ザイード・ラード・アル・フセイン国連人権高等弁務官はツイッターを更新。「コフィ・アナンの死を受け、悲しみに打ちひしがれている。コフィは人間の礼節と品位を絵に描いたような存在だった。コフィのようでない指導者であふれている今の世界では、ますます痛い喪失だ。コフィは何千人もの人の友人で、何百万人を率いるリーダーだった」と死を悼んだ。

https://twitter.com/raad_zeid/status/1030754311284961280


テリーザ・メイ英首相やイェンス・ストルテンベルク北大西洋条約機構(NATO)事務総長など、世界の指導者や外交官からも追悼の声が相次いだ。

ストルテンベルク事務総長は、「コフィ・アナン死去の報を聞き悲しんでいる。彼の温かさは決して、弱さと誤解されるべきではない。アナンは、1人の人間が同時に偉大な人権主義者と強い指導者であり得ると示した。国連と世界は、巨人を失った」とツイートした。


https://twitter.com/jensstoltenberg/status/1030760884442939392

メイ首相は、「コフィ・アナンの死を聞き悲しんでいる。国連の偉大な指導者であり改革者で、自分が生まれたときよりも世界をより良くすることに、多大な貢献をした。私の思いと弔意を、アナン氏の家族に伝えたい」と投稿した。

https://twitter.com/theresa_may/status/1030764292776386560


アフリカ系米国人初の米大統領となったバラク・オバマ前米大統領は、「コフィは壁を打ち破ってからもずっと、より良い世界の追求を決して止めなかった」と述べた。

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、アナン氏の記憶が「ロシア人の心にずっと生き続ける」だろうと語った。

インドのナレンドラ・モディ首相は「世界は偉大なアフリカ系外交官で人道主義者を失っただけでなく、世界平和と国際安全保障における良心の番人をも失った」と話した。

ガーナのナナ・アクフォ=アッド大統領はアナン氏を「我々の同国人で最も偉大な人物の1人」と呼び、国全体の1週間の服喪を発表した。アクフォ=アッド大統領はツイッターに「アナン氏の栄誉を称え、2018年8月20日月曜日から1週間、国内と世界に展開するガーナの在外公館で、ガーナ国旗の半旗を掲げるよう指示した。完全な平穏の中にお眠りください、コフィ。それはあなたが勝ち取ったものだ。神の祝福を」などと連続で投稿した。

https://twitter.com/NAkufoAddo/status/1030771205547216896

国連を退職後も外交官としてのキャリアを続けたアナン氏は2007年、世界の持続的な開発、安全保障、平和の促進を狙い、自身の財団を設立した。

1年後の2008年、大統領選の結果を受けて発生したケニア暴動で、終結に向けた連立合意の交渉支援を成功させると、アナン氏の名声は高まった。

当時、連立合意に署名した野党指導者のライラ・オディンガ氏はフェイスブックに投稿した追悼文で、アナン氏を「国に踏み入って、崩壊から救った男」と呼んだ

2013年には、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が創始した平和人権団体「ジ・エルダーズ」の議長となった。

それに先立つ2012年には、列強国が責任を果たしていないとして、国連とアラブ連盟のシリア合同特使をわずか6カ月の任期後に退いた。アナン氏は後に、「ダマスカスに向かう途中で勢力を失った」と述べたという。

直近の職務は、ミャンマーのロヒンギャ危機を調査する政府設置の特別諮問委員会委員長だった。

アナン氏の妻ナーネ氏と3人の子供が、「死ぬ直前の数日間、アナン氏の側にいた」とコフィ・アナン財団は述べた。


<追悼>イモージェン・フォルクス BBC国連担当記者(ジュネーブ)

コフィ・アナンは、戦争や環境破壊、あるいはただ過酷な貧困に苦しむ人々の窮状に対し、繰り返し関心を集めた手法で記憶されるだろう。

政治的キャリアよりも市民への義務を上位に置く必要があると、どんなに力を持った世界の指導者に対してでも静かに、しかし毅然と言い聞かせるのが、アナン氏の手法だった。

フォルクス記者の追悼文全文はこちら(英語)


(英語記事 Kofi Annan, former UN chief, dies at 80