山田健太(専修大文学部教授)

 NHKは表向き、「みなさまのNHK」を合言葉に、公共放送を標榜(ひょうぼう)している。しかし、最近の動向は、どうも自らその「逆張り」を期待しているとしか思えないような状況だ。それはあえて言えば、自由な民放を目指すか、はたまた国営放送になるか、いずれかの道を選択することになるのだが、本当にそれでよいのだろうか。

 まだ記憶に新しいが、3月に政府筋から1枚の「ポンチ絵」が流れた。将来の放送像を示すもので、政府の規制改革推進会議の検討ペーパーといわれている。その真偽は知る由もないが、紙には「民放は不要」と明記され、放送は災害放送を担当するNHKがあればよいとされていた。

 ちまたでは放送法、とりわけ4条の「政治的公平原則」の撤廃に焦点が当たってしまったが、放送概念を撤廃し、放送を完全に通信に統合するというアイデアは、目新しくはないもののちょっとした衝撃であった。外資規制もマスメディア集中排除原則も無くし、通信・放送一体とした市場を完全オープンにし、自由な経済競争に委ねようという発想だからだ。

 これはまさに、第1次安倍政権時代に構想され、空中分解してしまった「日本にタイムワーナーを」(このスローガンは既に古すぎるが)というメディアコングロマリット(複合企業)の実現を目指すものに他ならない。現在の放送メディアは、ビジネス上もコンテンツ上も、法によって厳しい規律の下にある。その束縛が無くなるというのは、両面において「何でもあり」の状況が生まれるということだ。

 この政策の是非は本稿の主題ではないので割愛するが、こうした何でもありの市場に、ポツンと取り残されたNHKは一体どういう「放送体」であり続けることができるのか、だ。この点に関し、NHKは沈黙を守り、成り行きを見守る立場であったが、どうも本心は「対岸の火事」視していて、自らに降りかかるであろう火の粉どころか、大火事に気がついていなかったのではないか。

 災害時の情報伝達を主として期待される「報道機関」として、NHKに現在のような多彩な番組構成が日常的に必要かといえば、違うだろう。そもそもチャンネルも、総合とEテレの地上波2波、BS1とBSプレミアムの衛星波2波、そしてAM第1・第2とFMのラジオ3波が必要かどうかも当然に問われることになる。今以上に受信料の値下げ圧力が強まるとともに、こうした「見られない」番組にお金を払う人はいなくなるに違いない。
2018年4月、放送制度の見直しなどを議論する規制改革推進会議に臨む安倍晋三首相(左から3人目)(春名中撮影)
2018年4月、放送制度の見直しなどを議論する規制改革推進会議に臨む安倍晋三首相(左から3人目)(春名中撮影)
 その結末は、受信料では成り立たなくなるか、もしくは契約率の低さから強制徴収という最後のカードに手をつけざるを得なくなるだろう。番組も、おそらくNHKは政府の下で粛々と行政情報を伝達する「情報機関」にならざるを得ないのではないか。これはいうまでもなく、国営放送への道を進むというパターンだ。いわば、民放の廃止はNHK「国営化」と同義であるという認識がどこまであったかということになる。

 NHKは、法によってがんじがらめによって縛られている。そのデメリットももちろんあるのだが、少なくとも、そのことが現在の日本における放送体制の維持に大きく貢献している。具体的には、NHKと民放の「2元体制」であり、しかもその力の均衡が壊れずに60年間続いてきた。また、日本の放送は「3層構造」であって、全国放送のNHK、圏域(県域)放送の民放、限定地域放送のコミュニティー放送と、きれいに色分けされているのである。