矢守克也(京都大学防災研究所教授)

 災害が起きるたびに、「今回新たに浮き彫りになった課題は?」と尋ねられる。研究者もメディアも、そして社会一般も、新しく表面化した課題を探すのが好きである。その方が研究的価値あるいはニュースバリューがあるからだろう。

 しかし、私自身も大阪府豊中市の自宅で揺れを体験した6月の大阪北部地震ほど、新しい課題を探すことが困難な災害はなかったと言ってよい。裏を返せば、これまでも繰り返し指摘されながら放置ないし軽視されてきた課題が、そのままの形で再度あるいは三度登場した。

 つまり、すべてが既視感(「かつて経験したことがある」という感覚)を伴っていた。このことが、大阪北部地震の最大の特徴だったと言えるだろう。

 まずは、このポイントをいくつかの例を通して確認しておこう。膨大な数の帰宅困難者と都市ターミナル周辺の大混乱、エレベータ内部への閉じ込めは2011年の東日本大震災で顕著になり、天井、照明器具、看板など非構造部材の危険性やソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上を流れるデマ情報などが問題視されたのは16年の熊本地震だ。

 また、水道、ガスなど地下に埋設されたライフラインの脆弱性については、04年の中越地震、老朽化した住宅の低耐震性、家具固定の重要性は1995年の阪神・淡路大震災、コンクリートブロックの危険性は78年の宮城県沖地震でそれぞれ露呈した。要はこうした各震災で浮かび上がった問題点のリストをつくろうと思えばいくらでもできる。

 以上のことは、言い換えれば、大阪北部地震については「想定外」がほとんどなかったということである。防災・減災について論じられるとき、これまで、ややもすると「想定外」に批判が集まってきた。「これほどの巨大な地震・津波を想定していなかったことは問題だ、落ち度だ」のように。
大阪北部地震で被災した家屋には、雨に備えブルーシートで覆われていた=2018年6月19日、大阪府高槻市(産経新聞ヘリから)
大阪北部地震で被災した家屋には、雨に備えブルーシートで覆われていた=2018年6月19日、大阪府高槻市(産経新聞ヘリから)
 しかし、私の考えは逆である。本当に深刻なのは、「想定外」よりも、むしろ「想定内」の方である。ある課題をかつて経験しながら、あるいは、ある対象を危険だと知りながら、それらに対して十分な手を打ってこなかった事実、言い換えれば、「想定内」にあった課題によって生じた被災や被害の方が、「想定外」の被災や被害よりも、はるかに重大である。

 「私たちが伝えたいことは、『本気』の防災です」。これは、私もメンバーの一人である阪神・淡路大震災の経験を語り継いでいる団体「語り部KOBE1995」代表、田村勝太郎さんの言葉である。何であれ、軽妙でライトであることが尊ばれる時勢にあって、「本気」などと聞くと、何やら重たげで泥臭い印象を持たれるかもしれない。

 だが、阪神・淡路大震災の経験者がたどり着いたこの言葉の意味は深い。なぜなら、この言葉は、防災・減災にとって最大の敵がもはや「知らない」ことではなく、むしろ「本気になっていないこと」が生む被災や被害、つまり、「想定内」の被災や被害だと看破(かんぱ)しているからだ。

 たとえば、大災害時には、多くの帰宅困難者でターミナル周辺があふれかえることは、大阪北部地震の前から、だれもが十二分によく知っていた。