彼女たちに話を戻すと、自分に割り振られたニュース項目のリード部分を読んでいたが、ニュースの中身について質問でもされたら、おそらく、ほとんど答えられないであろう儚さを漂わせていた。どう見ても記者修業中の新人でもなさそうだ。物書きを目指しているわけでもなさそうだ。4人ともプロダクションに所属するタレントであろうか。

 早朝だけではない。昼間、夕方、さらに夜のワイドショーも程度の差こそあれ同質の問題を抱えている。伝える側の人数が多い。出演者のほとんどが記者ではない。学者でもない。多くがタレントである。

 といっても、この頃は売り出し中の学者がテレビ番組に出て知名度を上げるためにあえてプロダクションに所属する事例がある。従って、吉本興業をはじめとするプロダクション事務所に所属するからといって、それだけで判断しては間違うかもしれない。

 ワイドショーの出演者は各自、専門芸を持っている人たちではあろうが、ニュースのコメントに関しては的外れだったり、月並みすぎたりで、評価に値するコメントは非常に少ない。この件については私の尊敬する立派な学者である加地伸行さんが書かれた『マスコミ偽善者列伝 建前を言いつのる人々』(飛鳥新社)がある。ぜひお読みになるようお勧めして、次に報道番組について語ってみよう。

 日本の報道番組と欧米諸国のそれを比べると明確な相違がある。先述したように海外の報道番組では、例えばBBC、ABC、CNN、France2もFOXニュースも、歌手であれ役者であれタレントをキャスターに登用している事例を、私は寡聞にして知らない。

 海外では報道番組の伝え手は激しい競争の中から勝ち上がってくるジャーナリストたちが圧倒的に多い。それぞれの専門分野を持ち、特派員としての経験なども積み、報道の現場で鍛えられ、認められた者だけがニュースキャスターの地位を手にする。

 そこにたどり着いたからといって安心はできない。視聴者の目がある。誤報や歪曲(わいきょく)はニュースキャスター個人としても局としても許されない。信頼を失えば降板ともなる。その種の職業的な実績は、良きにつけ悪しきにつけ、長くメディア論の中で取り上げられる。

 つまり、ニュースの伝え手に問われるのは、何よりも報道のプロとしての質である。ニュース番組はプロのニュースマン、ジャーナリストたちによる、あらゆる意味での競争と闘いの現場なのである。だから海外のニュース番組のキャスターたちは往々にしてそれ程若くはない。

 とびきりの美男でも美女でもない。生まれつき美男美女であったとしても、その美しさを意識的に際立たせることはない。かわい子ぶりは絶対にしない。頼りなさ、儚さなどはむしろ退けられる。彼らは視聴者に信頼される成熟した大人として、まっとう果敢に取材し、報じようとする。番組の担い手として、強く大きな太い柱であろうとする。
米国を代表するアンカーウーマンのケイティ・クーリック
米国を代表するアンカーウーマンのケイティ・クーリック
 日本はどうか。前述したように、まず、キャリアを積んだ記者が中心になっている番組が少ない。人気のあるタレントが仕切っている番組と局アナと呼ばれるアナウンサーが仕切るものとに二分される。報道についておよそ素人の彼らは、一体どのようにして、キャスターやコメンテーターの役割を担っているのだろうか。

 通常、ニュースのリードやコメントは番組のプロデューサーや記者が書いてくれる。それらはプロンプターで読める。読みの専門家である局アナにとっては得意分野であり、上手に読むことで基本的にニュースキャスターの形は整えられる。そういう仕組みの中で初めて局アナやタレントがキャスターの役割を果たし得ていると言ってよいだろう。