さて、『サザエさん』と『ちびまる子ちゃん』をホームアニメという同じ土俵に乗せた上で、両者の最大の違いを挙げるとすれば、磯野家では波平に強い父権が備わっているのに対して、さくら家に父の権威はほとんど存在しないことだろう。

 波平やマスオが会社からの帰路で雨に遭えば、カツオやワカメが傘を持って駅まで迎えに行く。波平の古い父権に対して、新しい感性を持つサザエやカツオが異議申し立てをすることもある。それに対して、さくらひろしが働いている姿を私たちは見たことがなく、アニメを見ている限りでは職業不詳。趣味は釣り、酒、野球観戦。家族内の意思決定は大概、母が行っている。それゆえ、まる子が積極的に友好関係を築くのも、時に激しく対立するのも、父ではなく母である。

 しかし、この相違点を「漫画が生まれた時代背景の違い」として片づけてしまうのは早計である。

 確かに戦後、主婦の家庭内権力は次第に高まっていったし、『ちびまる子ちゃん』の漫画連載が始まった1986年は、男女雇用機会均等法が施行された年でもある。男女同権に対する認識が高まっていた反面、大塚によれば「最初の総合職世代として後に続く同性たちの期待を背負いつつ、初めてマスとして企業の男社会に足を踏み入れた女性たちによって、『まる子ちゃん』はノスタルジーの妙薬として発見された」という見方もできる。

 そもそも、1946年に4コマ漫画として新聞連載が始まった『サザエさん』では、サザエは女性解放運動に関わっていた。また、波平にアニメのような威厳はなく、フネは気性が荒い性格として描かれている。

 哲学者の鶴見俊輔は、『サザエさん』の原作者、長谷川町子が一貫して「家庭内に戦前からひきつがれている家長の権威を笑いをもって批判し、権威の側も、自らをわらうことで変わってゆくという過程」を描いている点を高く評価し、「このあたりが、戦後民主主義なので、嫌いな人はここのところが嫌いになるのだろう」と述べている。

 1969年にテレビアニメ化される際、鶴見が指摘したような戦後思想は影を潜め、私たちがよく知っているサザエさん一家の設定が出来上がった。それに対して、長谷川町子は70年代、『サザエさん』に社会風刺を積極的に盛り込むようになり、アニメの設定とはいっそう乖離していく。
フジテレビ系アニメ「サザエさん」の(右から)サザエ、フネ(C)長谷川町子美術館
フジテレビ系アニメ「サザエさん」の(右から)サザエ、フネ(C)長谷川町子美術館
 逆に『ちびまる子ちゃん』の場合、さくらももこはアニメ化に際して慎重を期し、第1期(1990〜92年)に関しては、原作の世界観を守るための努力を惜しまなかった。テーマソング『おどるポンポコリン』の作詞を手がけ、大ヒットを記録したことは改めて言うまでもなく、声優のオーディションに立ち会い、脚本にも自ら大幅に手を加えたという。アニメの作風が大きく変わった第2期(1995年〜)でも、当初はさくら自身が脚本を手がけることでハンドリングしていたし、劇場版全3作(1990年、92年、2015年)の脚本もさくらが手がけている。

 「サブカルチャー的固有名詞」を一切排除しなかった結果、西城秀樹や植木等をはじめとするアーティストとのコラボレーションも実現した。これは一般的なタイアップ商法とは意味合いが異なっている。

 テレビを通じて「理想の家族像」という虚構を、ひいては日本人の総中流意識を延命させてきた「ホームドラマ」や「ホームアニメ」のフォーマットに、『ちびまる子ちゃん』は安易に最適化されることはなかった。さくらももこという稀代の漫画家が、全身全霊をかけてテレビの世界に向き合ってきた賜物といえるだろう。(文中敬称略)

参考文献

・『国際広報メディア・観光学ジャーナル』15号、2012年「越境する〈ホームアニメ〉 ―東アジアにおける『ちびまる子ちゃん』の家族像」玄武岩ほか

・『漫画の戦後思想』文藝春秋、1973年