上記のツイートに重ねて、いとうせいこうが

「さくらももこのギャグセンスは本当に当代一であった。あんな切れてる才能はなかった。『清水次郎長の何かを一緒に作ろう』と言うのが数年前の約束。義理人情に厚いやつだった!」

 と引用リツイート、ゆえに反響があったのだ。

 ツイート補足したい。僕のツイートには、かつての人気作家・景山民夫が1980年代に司会を務めていた深夜番組『TVクリティクス』のYouTube動画が添付されていて。その動画内で景山民夫にいとうせいこうが『ちびまる子ちゃん』を「こども界の向田邦子(ツイートが誤記、コチラが正確)」と薦めている。たいして影山民夫は「それは新しい表現ですね」と受け流していた。

 さくらももこが国民的作家となった今見れば、反応の薄い影山民夫が分かってない人に映るだろう。しかし、ここで褒めるべきは鋭すぎる審美眼を持ついとうせいこうの感性だと思う。

 炎上した時はツイッターを速攻閉じたが、バズれば反応が気になって仕方ない。ツイッター上では各人がさくらももこと自身の人生を照らし合わせて書いていた。さくらももこの作品は、常に自伝的。読者はさくらももこの性格についてよく知っている。ゆえに、どんな作家よりも距離感を近いと感じる。読者にとってさくらももこの存在は、自慢できる面白い友達のようなものだったのではないか。みんな、さくらももこが好きだった。

 いとうせいこうはさくらももこを「こども界の向田邦子」と評した。ちなみに、高校時代にさくらももこは小論文があまりに上手なことから採点者に「現代の清少納言」と絶賛されたこともある。
脚本家、作家の向田邦子さん=1979年3月撮影
脚本家、作家の向田邦子さん=1979年3月撮影
 清少納言は『枕草子』という日本最古の随筆作品を残し、向田邦子は『父の詫び状』で昭和初期の家庭を書き、さくらももこは『ちびまる子ちゃん』で昭和後期の家庭をエッセイ調に綴った。さくらももこは清少納言、向田邦子のハイブリッドだったと云える。

 悲しいのに、さくらももこが書いたことで思い浮かべるのは“うんこ”にまつわるものばかりだ。

『ちびまる子ちゃん』では、腹痛の波をサーフィンに例えていたっけ。エッセイ初期三部作のひとつ『さるのこしかけ』では、痔の痛みを「農民一揆」と評していた。

「こんなどうでもいい話を書いて、お金がもらえるなんて最高!」と僕は文章を書き始めた。しかし、やってみて分かる。“うんこ”で大人を爆笑させる難しさ、を。日常のどうでもいいちゃ、どうでもいい話を書いたエッセイ本が100万部売れてしまう。そんな奇跡みたいなことを達成できてしまう人を"天才"と呼ぶのだろう。

 桜は日本の象徴する花で、桃の花言葉は“チャーミング”だという。名は体を表す。さくらももこは、生涯にわたりチャーミングな日本の日常を描き続けた。多くの人がさくらももこの作品に救われた経験がある。どれだけ笑わせてもらったことか。

 さくらももこがいなくなったことの喪失感は大きい。僕は今寂しくて仕方がない。

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