日本人が「ビッグ・イン・ジャパン」を乗り越えて世界で活躍すると、なぜ安心するのか。それは、彼らが自分たちの「村」の仲間だからである。仲間が世界で活躍したという事実は、自分たちも可能性があるし、何よりも自分たちのやり方は間違っていなかったと確認できる。

 だから、「典型的な」「普通の」日本人が世界で活躍すると、わが事のように喜ぶ。そんな心情が日本人にはある。

 その意味で、大坂なおみ選手が「典型的な」「普通の」日本人なのかという点に迷いを感じる人が少なからずいる。だからこその「雑音」なのだろう。

 大坂選手は、日本人のお母さんと、ハイチ系米国人のお父さんの間に生まれた。その身体能力も、外見も、本当に素敵なのだが、多くの人が思い浮かべる「日本人」のイメージとは違っているのかもしれない。

 むろん、何が「典型的」で「普通」なのかというのは時代によって異なる。厚生労働省のデータによれば、日本における国際結婚の割合は概ね3%台のようである。その意味で、さまざまな背景を持った子どもたちの数は今や決して少なくはない。

 アメリカでは、どんなエスニックの背景を持った人でも「典型的な」アメリカ人になる。かたや、日本ではそこまでの意識の変化が進んでいない。

 日本「村」の「村民」として、大坂選手を自分たちの「仲間」だと思えるかどうか。

 この点に、今回の快挙を「雑音なし」に純粋な喜びとしてお祝いできるかどうかの分かれ目があるのだろう。

 私個人は、純粋に喜んだ。一方で、そうではない方々もいた。そんな方々が、さまざまな雑音を立てたに違いない。

 しかし、結局のところ、雑音は雑音に過ぎないとも思う。

 これからの日本をどう発展させていくか。そのことを考えると、大坂なおみ選手の快挙は、大いに参考にすべき「成功事例」だと思う。

 まず、エスニックな背景のさまざまな方が、日本に縁を持って活躍する機会をつくること。

 大坂なおみ選手が、子どもの頃にニューヨークに移住し、テニスの練習を続けて、ツアーの転戦などもグローバルな厳しさの中で闘ったように、日本の偏差値入試のような「ビッグ・イン・ジャパン」の世界ではなく、最初から世界の文脈の中で人材を育てること。

 日本には天然資源がない。私たちにあるのは「人的資源」だけである。日本人の勤勉さ、創意工夫は世界的に評価されている。問題は、それをどう発展させるかだろう。
力強いサーブを放つ大坂なおみ。最後まで平常心を保ち、四大大会初の頂点に立った=2018年9月8日、ニューヨーク
力強いサーブを放つ大坂なおみ。最後まで平常心を保ち、四大大会初の頂点に立った=2018年9月8日、ニューヨーク
 今回の決勝戦でも、大荒れのウィリアムズ選手に対して、終始冷静さを保ち、相手へのリスペクトを忘れなかった大坂選手のひたむきな態度は、「日本人の精神性」として人々に強い印象を与えた。

 大坂選手が、競技のために栄養学的に考えられた食事を抜きにすれば、試合後真っ先に食べたかったものは、カツ丼やカツカレーだったという。これはもう「普通の日本人」の女の子の感覚そのものである。

 大坂選手は、その精神性においては「典型的な」「普通の」日本人の気持ちを引き継いでいる。大切なのは、そのことだけである。