上杉隆(メディアアナリスト)

 戦後日本のほとんどの時期において、自民党総裁選こそが権力闘争の頂点であった。この選挙が内閣総理大臣を決める事実上の首班選挙であるのだからそれも当然だろう。だが、それにしても今回ほど低調な選挙は過去に類を見ない。

 始まる前から勝負がついてしまっている。まれにみる「茶番」に政治部の報道も低調だ。告示日前日、産経新聞は次のような分析記事を掲載している。

 20日投開票の自民党総裁選は7日に告示される。産経新聞は投票資格を持つ党所属国会議員405人の支持動向を探った。安倍晋三首相(党総裁)が9割に迫る345人の支持を固め、石破茂元幹事長の50人に大差をつけている。国会議員票と同数の党員・党友票でも首相が6割前後の支持を集めているとみられ、首相の連続3選はほぼ確実な情勢となった。(産経新聞 2018.9.6

 過去の総裁選でも、圧倒的大差がついた例はある。

 1956年の第一回自民総裁選では鳩山一郎に394票が集まり、2位の岸信介の4票とは、実に390票もの大差をつけている。

 また、1957年の総裁選では岸信介が471票を集め、2位の松村謙三の2票に469票差をつけて雪辱を果たしている。

 だが、これらは例外的だ。なにしろ、当時の総裁選は立候補制をとっておらず、前者は結党直後の現職総理だった鳩山を選出、後者は石橋湛山首相の倒れた直後の国会で首相指名を受けたばかりの岸を選出しており、それぞれが信任投票の意味しか持たない総裁選だったからだ。

 こうした例を除けば、自民党総裁選は常に激しい権力闘争の歴史を持っていたとも言える。

 1964年の総裁選の激しさはいまだ語り草になっている。ともに保守本流を自認する池田勇人と佐藤栄作が直接対決したこの選挙では、2・3位連合などが企図され、「実弾」も激しく飛び交ったという。そもそも、自民党総裁選は公職選挙法の規定外である。それゆえに、当時の金額で10億円とも15億円ともいわれる「実弾」、つまり裏金が各陣営の間を飛び交ったのだ。

 激しい権謀術数(けんぼうじゅっすう)が渦巻き、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する永田町である。だからこそ次のようなエピソードも語り継がれることになる。

 自民党の国会議員が、二つの派閥から同時に金をもらうことを「ニッカ」といい、同じく三派閥から同時に金を受けとることを「サントリー」、派閥や個人事務所も含めて4カ所以上から金をもらう場合は「オールドパー」といった。こうした隠語が生まれるほど、総裁選は「実弾」すら飛び交う、何でもありの闘いだった。
池田勇人(自民党)首相による新内閣の記者会見=1964年7月
池田勇人(自民党)首相による新内閣の記者会見=1964年7月
 さらに、この1964年の総裁選では、佐藤派の田中角栄がぎりぎりになって池田派に寝返ったり、読売新聞記者の渡辺恒雄が、病床にいて面会謝絶中の大野伴睦(意識不明という説もあり)の「代弁者」として、池田支持を派閥に指示したりと、手段を選ばない陰謀も繰り広げられたことで知られる。