松田聖子が登場した1980年代は、女性にかわいさ、従順さが求められる時代から女性が自立して生きる時代への転換期だった。松田聖子のファンたちの多くはいわゆる「均等法世代」であり、現実にはさまざまな障壁があったにしても、女性の社会進出が当たり前になり始めた時代だ。当初は「ぶりっ子」と呼ばれた松田聖子も、「アイドル」を職業と認めさせたパイオニアとなった。言うなれば、松田聖子は「自立したアイドル」だった。

 「自立したアイドル」という点では、安室奈美恵もそうである。パフォーマンスの面では歌の魅力ももちろん大きいが、特にダンスを通じた自己表現にその側面は表れていると言うべきだろう。誰かに教えられてその通りにやる「振り付け」がそれまでのアイドルの踊りだったとすれば、安室奈美恵の「ダンス」は、身体の内側からほとばしり出る表現であり、一つの存在の主張になっていた。

 安室奈美恵がブレークした1995年は、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件と大きな災害、事件が重なった年として記憶に残る。それらは、戦後の復興から高度経済成長を通じてようやく得られたはずの安定した日常生活が、足元から崩されるような極めてショッキングな出来事だった。その数年前に起こったバブル崩壊から続く不況と併せ、「既存の世の中の仕組み」の大きな動揺が誰の目にも明らかになった。

 「アムラー」、あるいはギャルという存在は、そんな時代の転換期と深いところでつながっているように思える。従来の学校や家庭に収まることなく、街中を自分の居場所にするギャルは、世の中の仕組みが機能不全に陥りかけている中で、自分たちの存在証明を求めて漂流した。「今日もため息の続き 一人街をさまよってる」「でも明日はくる」(『SWEET 19 BLUES』の歌詞より)と歌う安室奈美恵は、そんな彼女たちに優しく寄り添う存在であり続けた。

 「安室奈美恵はアイドルなのか?」多少なりともアイドルの歴史や文化に関心を持つ人ならば、一度は頭に浮かんだことのある問いではなかろうか。

全国ツアーの東京公演で熱唱する歌手・安室奈美恵=2006年9月、東京・代々木第一体育館(戸加里真司撮影)
全国ツアーの東京公演で熱唱する歌手・安室奈美恵
=2006年9月、東京(戸加里真司撮影)
 かわいらしい少女で、しぐさや言動も含めて守ってあげたくなるような魅力を持つ存在こそがアイドルだと考える人もいるだろう。そういう意味では、安室奈美恵をアイドルとみなすことに躊躇(ちゅうちょ)してしまうかもしれない。

 しかし、アイドルが私たちにとって「身近な存在のこと」を指すとすれば、「どこにでもいそう」というような近さではなく、ここまで述べてきたように「私たちとともに生きる」という近さにおいて、安室奈美恵をアイドルとみなすことは可能なはずだ。そして、そんな「アイドルらしくないアイドル」こそが、実は「昭和のアイドル」と一線を画す「平成のアイドル」だったのではあるまいか。

 異例の厳しい暑さが連日続いた夏も終わり、平成最後の秋を迎えようとする今、「平成のアイドル」の象徴であった安室奈美恵も芸能界を去った。だが冒頭にも触れたように、彼女の引退は、その後の彼女の人生がこれからも続くと感じさせる点で、かつてのキャンディーズのそれとは違っている。そしてファンや私たちもまた、彼女がくれた忘れがたい記憶をずっと胸に抱きつつ、平成から次の時代へとそれぞれの人生を再び歩み始める。