杉江義浩(ジャーナリスト、放送プロデューサー)

 沖縄で生まれ、日本、台湾、香港、韓国、シンガポールの5つの国と地域でアルバム2枚の連続ヒットチャート1位を記録した、アジアのカリスマ歌姫、安室奈美恵さんが9月16日に引退しました。絶好調の今の時期に引退することを、惜しむ声はあちらこちらから聞こえてきます。

 まだまだこれからだ、命ある限り歌い続け、ファンを楽しませるべきだ、と言う声もあります。その反面、「花は満開の時に散って人々の心に残るのだ」と、安室さんは自分の決めた第二の人生を歩むのがよい、という意見もあります。私は後者の考え方です。

 安室奈美恵というアーティストは、極めて早咲きのアーティストだったというのが私の印象です。彼女は10代、20代、30代、40代の4つの世代にわたってミリオンヒットを出すという記録を打ち立てていますが、彼女のピークは実は10代だったのではないか、と私は考えています。

 私が初めて安室さんに会ったのは、フジテレビの『ポンキッキーズ』という、子供向け番組の打ち上げ会場でした。彼女はまだ16歳か17歳で、ピンク色のウサギの着ぐるみを着て、番組に出演していました。

 私は当時、駆け出しの子供番組担当者で、他社の番組を勉強するために参加したのですが、そんな私から見ても安室さんは幼い感じがしました。ビンゴゲームのルールが分からず、「どうすればいいの?」と私に聞きにきた安室さんを見て、微笑ましく思ったものです。

 しかし、それは彼女が童顔だったために受けた印象であり、実際はすでにその時点で安室さんは大ブレークしていて、「SUPER MONKEY’S」のボーカルとして、ヒット曲を次々に出していました。

 歌って踊れるものすごい歌手が沖縄からやってきたぞ、ということで業界の注目を一身に集め、彼女を育てた沖縄アクターズスクールまで、たちまち有名になりました。タレント育成スクールがタレントを有名にしたのではなく、タレントが育成スクールを有名にしたのです。一種の社会現象でした。

 この頃にグループ名も「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」に変わり、まもなくソロになり、小室哲哉氏のプロデュースを受けるようになりました。レコーディング、ライブ、テレビ出演と多忙を極めていたので、ピンクの着ぐるみの子供番組には、なかなかスケジュールが取れない日も多くなりました。それでも安室さんは『ポンキッキーズ』を大切にしていました。ミリオンヒットを出すビッグアーティストが、ウサギの着ぐるみを着るという、不思議な時期がしばらくありました。

 18歳から19歳にかけて、安室さんは持ち前の魅力的な歌声と、キレッキレのダンス、流行を作り出していくメイクとファッションでカリスマ的存在になります。ウサギの着ぐるみを脱いだ途端に、彼女は日本のポップス界の女王として君臨していたのです。
東日本大震災の被災地支援音楽イベントに参加した安室奈美恵(右)=千葉・幕張メッセ(川口良介撮影)
東日本大震災の被災地支援音楽イベントに参加した安室奈美恵(右)=千葉・幕張メッセ(川口良介撮影)
 セカンドアルバム『SWEET 19 BLUES』がトリプルミリオンヒットし、10代女性ミュージシャンとして初のシングル・アルバム合わせて2000万枚を超えるという記録を打ち立てました。この記録は今でも破られていません。

 私が安室さんのピークは10代にあったのではないか、と考える根拠は、まず第一にこの記録にあります。さらに小麦色の肌に細めの眉毛とロングヘアー、厚底のブーツにミニスカートという、「アムラー」と呼ばれるファッションのスタイルを、多くの女性たちがまねをして、この言葉が流行語に選ばれたのも、彼女が19歳の時の社会現象です。そのこともあって、彼女は10代の時に爆発的な勢いでスターダムを駆け上がったのだ、と言う印象を私は強く持っています。