荒木和博(拓殖大学海外事情研究所教授、特定失踪者問題調査会代表)

 最初に河野洋平という政治家を見たのは、新自由クラブの街頭演説だった。いつだったかも、どこだったかも覚えていないが、街宣車の上に新自由クラブの幹部たち、おそらく田川誠一氏や西岡武夫氏、山口敏夫氏といった面々が並んでいた。

 皆、長袖ワイシャツネクタイ姿で、なおかつワイシャツの袖はまくり上げていた。若々しい印象を与えようというドレスコードだったのだろう。

 そのとき、どんな演説だったかは記憶にないのだが、熱弁を振るう河野氏の姿は今も記憶に残っている。新自由クラブは、私の所属した民社党、公明党および社会民主連合と「中道4党」と呼ばれる勢力だったので、その点でも親近感はあった。

 そのときから恐らく20年ぐらいして、私は外相になった河野洋平氏と会うことになった。平成11(1999)年の、年の瀬も押し迫った12月27日のことだ。私は、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)の一員で、このときは北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)のメンバーとともに面会した。

 当時、政府は北朝鮮へのコメ支援を画策しており、もともと家族会や救う会との面会には消極的だった。しかし、「座り込みも辞さない」と明らかにしたところ、年末になって面会が実現したのである。このとき、河野外相はこう言った。

  「外務省が表に出て第一線で当たるのに大事なことが二つある。一つは力ずくではダメ、話し合いでやらなければいけない、ということ。(中略)もう一つは国交がない。話し合いの場がない、ということ。どうやって話し合いで解決するか。一生懸命どうやれば話し合いができるか考えている」

  「皆さんの気持ちを理解して、北との交渉に臨む。先方は簡単な相手ではない。政府が決めればその通りになる、というなら簡単だが、そうはいかない。先方をそういう気持ちにさせないと」
2000年3月、北朝鮮に拉致された疑いのある日本人の家族らが河野洋平外相に面会。有本恵子さんの両親、嘉代子さんと明弘さん(浜坂達朗撮影)
2000年3月、北朝鮮に拉致された疑いのある日本人の家族らが河野洋平外相に面会。有本恵子さんの両親、嘉代子さんと明弘さん(浜坂達朗撮影)
 私はこのときあまり深く考えなかったのだが、「力ずくではダメ」という言葉は何かひっかかるものがあった。