「拉致された国民を力ずくでも取り返す」ことこそ国家の責務である。また、「シビリアンコントロール(文民統制)」を誇るなら、国会議員はそれを先頭に立って進めなければならないのに、国会でその議論はほとんどなされていない。

 さらに言えば、米国の軍事的圧力に依存して米朝会談で拉致問題を出して「もらった」安倍晋三総理もその意味で大差ないといえる。日本全体が米国頼みであり、河野洋平氏の発言はある意味、そのような「戦後政治」の象徴とも言えるのではないか。

 もちろん、この期に及んで「植民地問題の処理が先」というような彼の発言は、家族も含め拉致問題に関わっている人々の反発を生んでいる。個別には批判していくべきだろう。しかし永田町には「河野洋平的なもの」が蔓延(まんえん)しているのである。彼はその一つの象徴でしかない。

 私は19年前、河野洋平外相の「力ずくで取り返せない」という言葉に、反論もしなかった。正直な所、「そんなものなのかな」とすら思ったように記憶している。

 しかし、何となく心にひっかかるものがあったのも確かだ。その後は、拉致問題が安全保障上の問題であり、「力ずくで取り返す」努力をしなければならないと思うようになった。

 もちろん、拉致被害者救出にはさまざまな方法があってよいだろう。まずは救出が優先であり、1人でも2人でも、一刻も早く取り返さなければならない。
2018年4月、拉致被害者家族との面談であいさつする安倍晋三首相(斎藤良雄撮影)
2018年4月、拉致被害者家族との面談であいさつする安倍晋三首相(斎藤良雄撮影)
 だから「力ずく」でなければならないというつもりはない。しかし、国家として国民を救うという覚悟は、最終的には「力ずく」でなければならないはずである。

 国家としての根本を失った、わが国の醜さの象徴が拉致問題である。河野氏の発言がそれを改めて考えさせてくれたという意味では、彼の存在価値もあると言えるのかもしれない。