「飲んではいけないときに飲んでしまう」「思っていた以上に深酒をしてしまう」「飲酒が原因で社会的な問題を引き起こしてしまう」「自分の飲酒には問題がないと考える」。これらはいずれもアルコール依存症の症状なのだ。

 このように、吉澤被告がアルコール依存症だとすれば、朝から仕事なのに深酒してしまったこと、平気で車を運転して事故を起こしてしまったことなどは何の不思議もない。

 そもそも、アルコール依存症の人にとっては、アルコールが何より大事になってしまっており、身内を事故で亡くしたことなどは、二の次、三の次となってしまう。つまり、脳がアルコールに乗っ取られた状態であり、悲しいことではあるが、それがこの病気の恐ろしいところなのだ。

 また、重要な点は、アルコール依存症は単に多量の飲酒をするというだけの病気ではないということだ。世の中の大多数の人が飲酒をするのに、しかも相当多量に飲む人も多いのに、大半の人が依存症にはならない。それはなぜだろうか。

 アルコール依存症だけでなく、あらゆる依存症は「関係性の病」、「孤独の病」と言われ、依存症の根本には、必ず希薄な対人関係や孤立があるからだ。

 報道によれば、吉澤被告は前日、自宅で夫と飲酒をしていたというが、夫は彼女が危険な飲み方をしていることに、これまで気づいていなかったのだろうか。翌朝から仕事だと知らなかったのだろうか。車で家を出たことを知らなかったのだろうか。どれか一つでも知っていたら、この事件は防げた可能性が大きい。

 家族や友人の誰もが、彼女の危険な飲み方について注意をしたり、診察を勧めたりしていなかったのだろうか。そうだとすれば、華やかな芸能界にいるように見えて、何という希薄な人間関係、何という孤独な環境だろうかと暗澹(あんたん)たる気持ちになる。

 このような重大な事故を起こしてしまえば、ますます周囲から人が離れ、本人も自信や自尊心を失い、孤立を深めていく恐れがある。
送検のため警視庁原宿署を出る吉澤ひとみ容疑者(奥)=2018年9月7日
送検のため警視庁原宿署を出る吉澤ひとみ容疑者(奥)=2018年9月7日
 事件について、罪を償うのは当然だが、どれだけ厳しい罰を受けたとしても、アルコール依存症は治らないのが現実だ。そもそも、飲酒運転については厳罰化が進んでいるが、厳罰化はこの種の事件を抑制できないというエビデンス(臨床的根拠)があり、今や常識となっている。

 吉澤被告の事件を踏まえ、最も重要なことは、治療につなげることである。そして、その中で新たな人間関係を築き、これ以上自分の体や心を傷つけないようにすることだ。さらに、自尊心を取り戻し、社会生活を取り戻すことが何より大切になる。

 また、その一方で、われわれ社会の側も立ち直ろうとする人を受け入れ、バックアップすることが必要だろう。自分を大切にできない人が、他人を大切にできることなどありえない。本当の償いや再出発は、そこからスタートする。