藤岡信勝(拓殖大客員教授)

 新潮社が発行する月刊誌『新潮45』の編集長、若杉良作氏から原稿依頼があり、8月13日、江戸川橋(東京都文京区)近くの喫茶店で1時間ほど打ち合わせをした。いわゆる「杉田水脈論文」が載った8月号の発売日は7月18日だったが、直後から猛烈な批判活動が起こっていた。

 これに対する反論を、本当は9月号でしたいところだが、時間的にも無理なので1号飛ばして10月号で企画した、との経過を若杉氏からうかがった。私に依頼が来たのは、フェイスブックで、「生産性」が差別用語でも何でもなく、社会科学の普通の用語であることを発信していたからだった。それが若杉氏の目に留まったのである。

 マルクスの主著はもちろん『資本論』だが、経済学を中心とした理論体系に特化する以前のマルクスは、経済活動のみならず人間活動の多様な領域を視野に入れた考察を行っていた。これらは、いわゆる「初期マルクス」として独自の研究分野をなしていたことは、関心のある人には周知のことだ。『新潮45』10月号に載った「LGBTと『生産性』の意味」という小論がこのことと関係があるので、その背景を少し書いておく。

 私は北海道大学の出身で、中野徹三氏というマルクス主義者の先輩がいた。仙台の陸軍幼年学校の出身で、私は中野氏の理論活動からたくさんのことを学んだ。中野氏の「スターリン主義批判」の業績は、日本共産党中央の言論弾圧に屈服せず貫かれた、言論の金字塔である。現在は政治的立場を離れてしまったが、今年の年賀状には、「マルクス主義の総括をしたい」と書かれていた。立場は違うが交流はさせていただいている。

 その中野氏は、初期マルクスの思想を「生活過程」という概念に集約した「生活過程論」と呼ばれる理論を構築した。こうしたことの刺激もあって、私も初期から中期にかけてのマルクスの主な著作は一通り読んだ。
拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏=2015年7月30日、東京都文京区(栗橋隆悦撮影)
拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏=2015年7月30日、東京都文京区(栗橋隆悦撮影)
 その中でマルクスは、ある箇所で人間の活動領域を「○○すること」などと列挙していたのだが、その一つとして人間の生殖行動に言及し、それが「やること」と翻訳されていたのがおかしかった。また、「他者の生産」という用語を使っているのが面白く、鮮明な記憶として残っていた。その記憶が今回、杉田論文との関係でよみがえったのである。

 それで、私はめずらしくフェミニズムの大家、上野千鶴子氏の『家父長制と資本制-マルクス主義フェミニズムの地平』(岩波書店)という本をじっくり読む機会を得ることになったのだが、意外な発見をした。保守派の世評とは異なり、上野氏は一つ一つの言葉の由来と意味を正確に使おうとする、頭脳明晰(めいせき)な人物であるということだ。少なくとも、この著書ではそうだった。その上野氏自身が、「ヒトの生産」という用語を使っているのである。