島田裕巳(宗教学者)

 創価学会の池田大作氏は、第3代の会長を退いて以来、長く名誉会長と呼ばれてきた。ところが、最近、名誉会長から退いたわけではないようなのだが、「池田大作先生」という呼称が使われるようになっている。

 池田氏が会長に就任したのは1960年のことで、そのときまだ32歳だった。その若さで巨大な新宗教教団を率いるのは容易なことではないが、若きリーダーの下、創価学会は、少なくとも1960年代いっぱいは、その勢力を拡大し続けた。

 池田氏が初めて沖縄を訪れたのは、会長に就任してわずか2カ月後のことである。沖縄に初めて創価学会の会員が生まれたのは1954年のことだが、当時の最小単位の班はあっても、まだ支部はなかった。そこで、池田氏の提案で沖縄支部が結成される。

 それ以来、池田氏は、2000年までの間に沖縄を17回訪れている。池田氏の会長としての主な仕事は、国内外を訪れ、現地の会員を励ますことにあった。

 池田氏が、沖縄のことをいかに重視していたかは、ごく最近『聖教新聞』での連載が終わった『新・人間革命』の正編、『人間革命』の執筆を、1964年に沖縄の地で始めたことに示されている。

 池田氏の基本的な認識は、沖縄が第2次世界大戦において悲惨な戦争の犠牲になり、なおかつ戦後は、在日米軍の基地を抱えていることを踏まえ、本土の「捨て石」になっているというものだった。その上で、基地問題を解消し、沖縄に本当の平和をもたらすべきであることを訴えてきた。
1970年5月、創価学会第33回本部総会であいさつする池田大作会長=両国・日大講堂
1970年5月、創価学会第33回本部総会であいさつする池田大作会長=両国・日大講堂
 この池田氏の主張は、沖縄の多くの人々の共感を集めるもので、その点では、平和の実現ということに力を入れてきた創価学会の指針としては重要なものということになる。ただ、なぜ池田氏が沖縄に力を注いできたのかということになると、平和の問題だけでは理解できないように思われる。

 創価学会の組織は基本的に、地域別、年齢別に組織されている。地域では、現在の最小の単位はブロックで、それが地区、支部、本部、圏、分県、県へと範囲が広がっていく。性別では、性と年齢に応じて「青年部」「婦人部」「壮年部」に分かれる。