「オール沖縄」のもう一つの意味は、政治勢力としての「保守」と「革新」が、辺野古移設反対という一点で手を握って構築した「保革共同体」である。

 「翁長知事」は、その象徴的存在だった。翁長氏は、那覇市議、県議、那覇市長とステップアップする過程で、常に沖縄の保守本流を歩んだ。自民党沖縄県連の幹事長なども歴任し、仲井真弘多前知事が再選された10年の知事選では、選対本部長を務めた。その翁長氏を、14年の知事選で、保守とは水と油のはずの共産党、社民党など「革新」勢力が推した。

 翁長氏が「革新」に転向したわけではないという建前だったため、翁長氏の支持基盤である保守層は、多くが翁長氏に同調した。もともと保守系とされる、建設業や小売業などの「金秀グループ」、ホテル経営の「かりゆしグループ」は、その代表格だ。それを見た沖縄メディアは、翁長氏を中心とした政治勢力を「オール沖縄」と盛んに喧伝(けんでん)し、この言葉が本土と沖縄の双方で定着することになった。

 前回知事選で翁長氏が叫んだスローガンが「イデオロギーよりアイデンティティー」である(これは玉城氏もそのまま今選挙で使っている)。保守、革新というイデオロギーより、沖縄人としてのアイデンティティーを優先し、辺野古移設反対に立ち上がろう、という意味である。

 基地をめぐる長い政争にうんざりした多くの沖縄県民には、その訴えが斬新に響いたようだ。翁長氏は仲井真氏に約10万票の大差をつけ、初当選を果たすことになった。

 知事選の余勢を駆って「オール沖縄」は沖縄政界を席巻した。2014年の衆院選、16年の参院選、同年の沖縄県議選と、主要選挙で連戦連勝し、一時は沖縄選出の国会の議席を衆参とも独占した。自民党議員は衆院の比例でわずかに生き残るありさま。「オール沖縄にあらずんば政治家にあらず」と言わんばかりの時代が到来し、沖縄で要職に就こうとする者が「辺野古容認」とは間違っても言えない、というムードがこの時決定的となった。この異様な空気は現在でも続いている。

 転機になったのは16年12月、辺野古埋め立て承認取り消しをめぐる訴訟で、最高裁が県の上告を棄却し、県敗訴が確定したことだ。辺野古移設をめぐる初の司法判断である。翁長氏は「あらゆる知事権限を用いて新基地を造らせない」と抵抗を続ける考えを示したが、以降、移設工事は着実に進む。翁長氏の公約達成が困難であることが明らかになった。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設をめぐる訴訟の上告審判決が言い渡された最高裁第2小法廷=2016年12月20日午後、東京都千代田区(桐原正道撮影)
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設をめぐる訴訟の上告審判決が言い渡された最高裁第2小法廷=2016年12月20日午後、東京都千代田区(桐原正道撮影)
 国と県の対立が深刻化する中、安倍政権を批判する翁長氏の言動はどんどん革新リベラル寄りになり「オール沖縄」の保守色は薄れていった。これは保守層の支持離れを加速させた。「沖縄県民は自己決定権をないがしろにされている」などという翁長氏の過激発言は、沖縄と本土を分断するものであり、到底、保守層の受け入れるところではないからだ。