地方分権の度合いが少ない日本においては、資源配分をめぐる政治は必然的に「お上」との関係性を中心としたものにならざるを得ません。県知事選は、地元負担と見返りを含むプロジェクトを「止める」あるいは「受け入れる」といった受動的な論点になりがちです。

 中央政府にもずるいところがあります。米軍普天間飛行場の返還に膨大な時間がかかっているのも、沖縄に基地が集中しているのも、国家戦略レベルの話を県知事の責任に押し付けているところが大きいからです。国がリードしなければ、国家安全保障に関わる問題を解決することはできません。

 そもそも、県知事が米国と交渉することなどできようはずもありません。地方に真の自主性はないのに、中央が責任転嫁をするから、こうした選挙が繰り返されるわけです。

 沖縄に限らず、日本政治には有為なダイナミズムは存在しません。日本が先進国の中で際立って安定し、ポピュリズムにさらされておらず、またそれゆえに異端が力強く社会を変えることも少ないのは、明らかです。

 その一因は、社会を分断する要素が日本にはごく少ないからです。英国では階級であり、米国では人種であるところの分断のようなものは、日本社会には存在しません。沖縄県にしても、そのような明確な亀裂は存在しないのです。存在するのは、中選挙区制の時以来の人間関係による対立構図であり、陣営です。

 地方に行くたびに思うのですが、人間関係の積み重ねの歴史以外に、そこの土地における対立を説明できる要素がありません。それゆえに、選挙報道も政策ベースというよりはいわゆる政局(≒人間関係)の細かい知識比べにならざるを得ません。

 プロ以外の一般人にとっては、「Who cares?(知るかよ)」というものになります。いきおい、政治に興味を持つ層は既得権層か、政治運動に居場所を求める人々に限られてきます。

 ダイナミズムを阻んでいる最大のものは日本の「ムラ社会」です。ムラ社会は、人間関係で回っている社会であり、実力主義と階級秩序を足し合わせたものです。
2018年9月1日、辺野古移設反対派の抗議集会に参加した玉城デニー氏(右)=沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前
2018年9月1日、辺野古移設反対派の抗議集会に参加した玉城デニー氏(右)=沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前
 田舎では初めから、機会の格差は開いている。「イエ」の格による秩序も厳然と存在し、新たなチャレンジャーを阻む土壌があります。村社会の一番の問題は、人に迷惑をかけないことを主要なモチベーションとした行動が取られがちだということです。そして、それはダイナミズムを生む構造とは真逆の行動様式であるのです。

 沖縄の問題は、政府の積極的なリーダーシップと真の地方分権以外に解決の糸口はありません。ところが、沖縄県知事選の報道は、どちらが勝った・負けたを安倍政権の政権運営への影響に変換してのみ理解しているものが多い。けれども、日本のいびつな中央=地方構造こそ、真の改革を阻むものなのです。