ロバート・D・エルドリッヂ(政治学者、元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長)

 9月30日の沖縄県知事選は1972年の本土復帰以来13回目を数え、米国統治下だった琉球(りゅうきゅう)政府の行政主席選挙を含めると14回目となる。

 1968年の主席選以来、今回の選挙は、沖縄の有権者が自らの知事を直接選ぶことができるようになってから50年という節目でもある。では、この50年、沖縄の有権者は誰を選んできたのだろうか。

 この半世紀を振り返ると、沖縄県知事はこれまで、保守系政治家が28年務め、革新系が22年県政を担った。「政治的左派」のイメージが強い沖縄だが、実際には有権者の投票行動は保守的な傾向がみられる。

 沖縄にはこれまで7人の知事がいたが、そのほとんどは2期8年在任し、西銘順治氏(公選後第3代)だけが3期12年務めた。他の2人は1期未満で退任した。前知事の翁長雄志氏は任期満了前に急逝し、それに伴う知事選も前倒しで実施された。第2代、平良幸市氏は就任2年目に脳血栓で倒れ、任期途中の辞職を余儀なくされた。

 沖縄県知事は、時に厄介な立場に立たされ、精神的にも肉体的にも非常に過酷な職務である。実際、歴代知事の多くが任期中、極度の疲労などによって入院している。琉球政府の初代行政主席だった比嘉秀平氏は、米軍基地建設のための土地収用に反対する「島ぐるみ闘争」の最中に死去した。

 今年8月に亡くなった翁長氏は比嘉氏とは異なり、中央政府との対決姿勢を鮮明にし、いろんな局面で物議を醸した。もともと教員だった比嘉氏が英語力を買われて、政治の世界に飛び込まざるを得なかったのに対し、翁長氏は長年抱いた知事への野望を実現するために、自ら多くの穏健保守派のライバルを政治的に排斥する道に突き進んだ。
1972年5月、沖縄の日本返還後、新県知事として、初めて佐藤栄作首相(右)にあいさつする屋良朝苗知事
1972年5月、沖縄の日本返還後、新県知事として、初めて佐藤栄作首相(右)にあいさつする屋良朝苗知事
 膵(すい)がんを公表した翁長氏の健康状態に懸念があったとはいえ、彼の任期満了は今秋だった。対立する保守陣営にとって、翁長氏の死去が予想外だったとはいえ、さして混乱を招くほどではなかった。むしろ左派陣営からは誰が出馬するのか、誰が保守系候補の出馬に反対するのか、それを見極めればよかったのである。