他方、翁長氏の急逝は左派陣営を混乱に陥れた。翁長氏のいない選挙戦を想像したくなかったのか、左派陣営の統一戦線、いわゆる「オール沖縄」は候補者選びに難航した。陣営が擁立した玉城デニー氏の出馬会見の際、テーブルの上には翁長氏が生前愛用していたという帽子が置かれてあった。むろん、翁長氏の「弔い合戦」を演出するパフォーマンスだが、これが今回の知事選の結果に多少なりとも影響したことは言うまでもない。

 私は、在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長として、米軍普天間飛行場を抱える前宜野湾市長、佐喜真淳氏と緊密に連携する機会があったので、彼のことはとても尊敬している。だが、正直に言えば、今回、佐喜真氏が保守系の中で最もふさわしい候補とは思わなかった。佐喜真氏は宜野湾市長2期目の途中であり、市政に集中した方がいいと思ったからである。その旨を昨秋、直接本人にも伝えた。実はもっとおもしろい候補者がいると考えていた。

 しかし一方で、もし佐喜真氏が知事になっても、専門性の高い2人の副知事を補佐役につけさえすれば、彼は十分リーダーシップを発揮できるという確信があった。政府与党から全面的な支援を受けることもできたはずだ。沖縄と日本、米国の三者の関係は、極めて安定した時代を迎えることができる、と評価していた。いや、もしかすると2003年以降で、米国と日本に加え、沖縄県と宜野湾市、基地移転先の名護市の五者が初めて、同じ方向性を共有できるかもしれない。この意味で、佐喜真氏は重要かつ必要な候補者であるという期待があった。

 津波による被害から免れられる高台にあり、戦略的に日本にとっても重要な普天間飛行場の閉鎖と、問題が山積する辺野古への移転案について、かねてより私は反対だった。これは「反対のための反対」ではない。辺野古移設が日米同盟を空洞化し、弱体化するとの懸念があったからだ。

 96年12月の沖縄特別行動委員会(SACO)による普天間問題の勧告から22年が経過しても、いまだ実現に至っていないのは、この15年間で日米、沖縄県、宜野湾市、名護市の五者の方針が一致しなかったことが最大の原因である。知事や上記の関係自治体の市長が、移設賛成派・反対派問わず選挙により交代したことで足並みがそろわず、それぞれが移設問題への対応でますます溝を深めていく結果となった。

 鳩山由紀夫政権(2009~2010年)の下で、政府が「最低でも県外移設」との方針を打ち出し、当時保守系知事だった沖縄が基本的に「県内移設容認」だったことは、究極の皮肉としか言いようがない。

元在沖縄米海兵隊政務外交部次長の
ロバート・D・エルドリッヂ氏(奥清博撮影)
 もともと佐喜真氏は、宜野湾市長として普天間飛行場の閉鎖・移設を求めた立ち位置だったこともあり、名護市長や沖縄県知事とは違って、沖縄の一般的なスタンスを守る必要はなかった。これに対し、玉城デニー氏はうるま市で生まれ、沖縄市や名護市のある沖縄3区を地盤とし、衆院議員を4期務めた。玉城氏は長年、普天間飛行場の県内移設に反対し、県外移設と米軍の整理縮小などを求める立場だった。とはいえ、私自身、玉城氏について明確な意見を持っているわけではない。

 彼は選挙期間中、過去の政治的発言に矛盾した言動があるとたびたび指摘され、左派の支持者が理想とするクリーンな政治家像とはかけ離れている、との印象がある。それでも、若々しく気さくな人柄で、玉城氏は有権者の心をつかんだ。佐喜真氏より4歳年上の58歳だが、佐喜真氏の保守的な政治思想が玉城氏よりも年上に見られた可能性は否めない。