稲嶺恵一(元沖縄県知事)

 私は1998年の沖縄県知事選で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の「条件付き県内移設」を掲げ、現職の大田昌秀知事を破り、99年に辺野古(名護市)への移設を正式に表明しました。私にとって苦渋の選択でしたが、もちろん県民の方々にとっても苦渋の選択でした。

 物事には理想論と現実論がありますが、あの時は、現実論を考えた場合、沖縄が苦渋の選択をしなければならないのではないか、と県民のマジョリティー(多数派)がそう考えたということです。

 辺野古は、軍民共用で、将来は返還してもらい、基地を財産として使うこととし、固定化を避けるために「15年」という使用期限をつけました。あの時はまだ「最低でも県外」という鳩山由紀夫氏の発言がありませんでしたから、反対が60%程度だったわけです。十数パーセントが、こっちに賛成してくれれば進めることができる状況でした。

 ところが、私の次に知事に就任した仲井真弘多さんの時代に、当時首相だった鳩山さんの「最低でも県外」発言があり、県民の意識を変えてしまった。政府がその気になればできるのではないか、沖縄が苦渋な選択をしなくて済むと。あの時、マスコミにあの鳩山さんの発言をどう思うかと聞かれて、私は「覆水盆に返らずです」と答えましたね。

 人間は感情もあれば、理性もある。県外移設が難しいことは、県民も理解していたと思いますよ。でも、感情に火をつけたのは日本政府なんですよ。政府としてはっきり県外移設を明言したんだから。政府ができるというならそう思うでしょう。

 移設に反対する沖縄県民がけしからんという人もいますが、そもそも沖縄県民に混乱をもたらしたのは、政府なんです。最もかわいそうなのは、仲井真さんですね。最初、首相は安倍晋三さんだったのに、福田康夫さん、麻生太郎さん、そして旧民主党への政権交代があって鳩山さん、菅直人さん、野田佳彦さんになった。その後、また政権が自民党に戻って安倍さんでしょ。その時々の首相、外務大臣、防衛大臣の言うことが違うわけです。

 沖縄担当大臣だって、就任するたびに「初めまして」とあいさつする人が多い。政府側からはさまざまな発言が出てくるのに、沖縄側は仲井真さんがすべて1人で受け止めなければならなかった。こうした政治情勢に翻弄(ほんろう)され、それが今なお、基地問題の混乱に拍車をかけているのです。 

 私が知事のときは、はっきり言って、政府としょっちゅう喧嘩(けんか)ばかりでしたね。それでも、最後は落としどころを見つけ、苦渋の選択をした。それはなぜかと言うと、外交や防衛は国の専権事項だからです。はっきり基地反対と言えば、気持ちはいいけれども、解決できずにいつまでもズルズルとしていたら、沖縄県民全体にとっても不幸なことです。
沖縄基地問題について語る稲嶺恵一氏=2018年9月(川畑希望撮影)
沖縄基地問題について語る稲嶺恵一氏=2018年9月(川畑希望撮影)
 私の前に知事を務め、革新だった大田さんも、政府と対立したのは最後の最後でした。私から見れば、両者はうまくいくと思ってましたよ。それはなぜかと言うと、吉元政矩さんという、当時沖縄政界などで絶大な力を持った副知事がいて、政府との折衝を重ね、裏でいろいろ詰めながらやっていたわけです。

 でも、共産党が吉元さんの考え方に反対したんですよ。自民党も、当時党の要職にいた野中広務さんが自民県連のメンバーに対して、「吉元を支持しろ」と電話をかけていたのですが、県連は野中さんの言うことを聞かず反対した。それから大田さんの政府との折衝は停滞していったんです。