森口朗(教育評論家) 

 道徳の教科化は学校関係者への不信任決議である。神戸市教育委員会が学校に対していじめ自殺事件の隠ぺいを示唆したというひどい事件が報道された。それを知って私は「道徳の教科化」がいかに正しい施策であったかを実感したところだ。

 安倍政権の政治的リーダーシップと関係者の多大な尽力により、今年から道徳が教科になった。連合国軍総司令部(GHQ)により修身が廃止になって70年以上の歳月がたったことを思うと喜ばしいという思いとともに、この70年間、私たち日本人は何をやっていたのだろうと忸怩(じくじ)たるものがある。

 道徳の教科化について大きな役割を果たした貝塚茂樹氏(武蔵野大学教授)によれば、GHQは敗戦時の修身を廃止はしたが、その後、大正デモクラシー時代に使っていたバージョンに近い教科書に戻して修身を復活させるつもりだったらしい。それを「公民」という新たな教科にして再出発しようとたくらんだのは文部科学省である。しかも、文科省の思いは結局実現せず、結果的にGHQの指導により元の修身とは似ても似つかぬ「社会科」になってしまった。

 安倍政権が道徳の教科化を推進できた直接のきっかけは、滋賀県大津市立皇子山中学校2年だった男子生徒が2011年10月11日に自殺した事件だ。事件後に行われたアンケートによれば、男子生徒の手足を鉢巻きで縛り口を粘着テープでふさぐ、トイレや廊下での暴行、万引の強要、蜂の死骸を食べさせようとするなど、いじめの内容もひどいものだった。

 さらに、被害者が自殺した後も加害者側の態度に反省が見られなかったことで、いじめ情報がインターネットで拡散され、社会的に大きな注目を集めた。しかし、残念なことではあるが、中学生の残虐ないじめ自殺事件はこれが初めてではない。過去には山形マット事件という「いじめ自殺」ならぬ「いじめ殺人」と言っても良いような事件が起きているのだ。

 それでも、この事件が大きな反響を呼んだのは、既にインターネットが普及していたことに加えて、自殺事件発生後の教育委員会や学校関係者の対応があまりにひどかったからである。教育委員会の役人たちは学校と一丸となって「いじめ」隠しに奔走しただけでなく、報道により次々といじめの事実が明らかになっても、自殺原因が被害者家族にも問題があったからだと言い放った。さらには、行政のトップである市長が被害者の側に立っても、被害者とともに動こうとはしなかったのである。
2018年6月、神戸市立の中3女子生徒の自殺問題で、聞き取り調査メモの隠蔽について、文科科学省の担当者らに謝罪する神戸市教委幹部ら
2018年6月、神戸市立の中3女子生徒の自殺問題で、聞き取り調査メモの隠蔽について、文科科学省の担当者らに謝罪する神戸市教委幹部ら
 その事件がきっかけになって「道徳の時間」が教科になったことは、何を意味しているのか。学校現場に道徳教育を任せておけないという事だ。道徳の教科化とは学校関係者への不信任決議に他ならない。

 教科化される以前から、学校の時間割には「道徳の時間」なるものは存在した。だが、これは時間が確保されているだけで教科書さえ存在しなかった、いわば学校裁量、教師裁量でどうにでもなる時間だったのだ。