例えば、海外の寄付文化がどういうものか、かつての日本の偉人がどうであったかなどを教えることで「徳」の教育をぜひ求めたい。

 また、超高齢社会で高齢者が増えるだけでなく、85歳以上の長寿者が急増しているため、要介護高齢者や認知症患者が激増している。ただ、悲しいことに現在では、「寝たきりになってまで生きていたくない」「認知症になったら安楽死をさせてくれ」というような弱い高齢者は生きる価値がないといった言辞が当たり前に飛び交っている。

 彼らとて、若い頃、あるいは現役時代は、日本のために尽くし、働いてきた人たちなのである。また、ほとんどの人は日本のために納税してきた人である。場合によっては戦地に赴(おもむ)いた人もいる。

 そのことをきちんと教えて、今の姿だけで判断するのでなく、人には歴史があるということはきちんと道徳教育の中で教えてほしいというのが、高齢者専門の医師としての提言だ。

 互助の精神、「弱ったときはお互い様」の精神がないと、高齢福祉は金がかかるだけの無駄という発想に陥ってしまう。体が弱った、脳が弱った人への労わりだけでなく、彼らにきちんと残存機能があり、また、人の情もあるということも知ってほしい。

 これは、核家族化が進み、高齢者と触れ合ったことがないという要因も大きい。教科書を作るだけでなく、特別養護老人ホームなどで高齢者と触れ合う機会を作り、高齢者の昔話を聞いたり、逆に生きていく上で、どんなことが待ち受けているのかを教わる体験学習が、まさに道徳教育に必要なのではないだろうか。
※画像はイメージです(GettyImages)
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 最後に主張したいのは、道徳教育を「上に従う人間」を作る教育にしてはいけないということだ。アメリカのAO入試(学力試験を課さない大学入試)においては、面接を教授が原則行わない。ハーバードなどの名門大学では、むしろ教授に議論をふっかけそうな人が好まれる。その方が学問の進歩を生み、学ぶ側も教える側も進歩していくという思想が根底にあるからだ。

 昨年以降、「忖度」(そんたく)という言葉をよく耳にするが、他人の気持ちを推し量る、共感するという忖度そのものは悪いことではなく、望ましいことだ。ただ、それは上の意向を読み取り、それに従わないと出世できない、あるいは従うと出世できるなどという実利を求めるためのものでなく、「思いやり」の精神のはずだ。

 日大アメフト部の危険タックル問題では、上の命令なら間違ったことでも逆らわないという体質が明らかにされた。命令に従わなければ試合に出られないという形で、逆らえない指導も問題になった。

 要するに「忖度」にもよい忖度と悪い忖度があるということだ。悪い忖度が当たり前にある組織だと、上に嫌われないために不正が隠蔽(いんぺい)されたり、改竄(かいざん)される危険が高まる。さらにたちが悪いのは、そのような「悪い忖度」をする社員が出世などでメリットを享受できる風土だろう。

 これは企業不祥事が起こる要因になり得る。上が間違っていると思っている際に、堂々と間違っていると言える人間を作ることも道徳教育の目標にしていいだろうし、少なくとも「良い忖度」と「悪い忖度」があることは子供に教えるべきことだろう。

 忖度という言葉は、あの森友学園疑惑で注目されたが、悪い例として使われるようになったのは、国民が納得できるような説明がなされなかったためだ。道徳教育を進める以上、法を破っていなければいいのでなく、これが道徳教育の提唱者である以上、国民に範を示さなければいけないという矜持(きょうじ)を安倍晋三首相に求めたい。きちんとした徳がない社会では、学校で強制的に教えた道徳教育の有効性も半減してしまうからだ。