渡辺雅之(大東文化大准教授)

 2018年4月から小学校で「特別の教科 道徳(道徳科)」が始まった。来年は中学校でも始まる。そのための教科書も検定を通過し、各地で採択のための展示会も開かれている。道徳科は、戦後教育のあり方を大きく変えるものである。そこにはどんな背景があり、どんな問題があるのだろうか。

 そもそも道徳科とは何か、それは今まで週1回行われてきた「道徳の時間」と何が違うのだろうか。取りあえず、教科になることによって変わった点は大きく三つある。

 一つは、教科書があり、その使用が義務付けられることだ。二つ目は、学習の達成度を測る評価が求められる。そして、教科書をベースにした年間指導計画が強い縛りを持つことである。さらに、各学校では「道徳教育推進教員を置き、校長の方針の下に全教師が協力して道徳教育を展開すること」(学習指導要領)になっている。

 それまでの「道徳の時間」は1958年に特設されたものだが、十分な議論を経ず、教育現場から反対の声が上がる中で実施された。日本国憲法と教育基本法の下において、国家が道徳に直接関わることに対する強い抵抗感が国民にはあったのである。

 よって、戦前の修身は全ての教科の筆頭に置かれ、優・良・可などの成績も付けられていたが、「道徳の時間」はそうした形にはならず、教科外活動(領域)という位置づけにされた。

 この時間は、学校や教師によって差があったが、クラスで起きたケンカやいじめなどの諸問題の解決のための話し合いや、合唱コンクールや体育祭などの行事に使われることも多かった。また、授業内容も副読本やそれに基づく年間計画はあるものの、個々の教師の裁量にある程度は任されており、良くも悪くも自由度が高いものであった。

 そこには、戦前の道徳(修身)が押し付けであり、軍国主義教育の支柱になっていたことへの反省から、「子供たちに道徳を押し付けない」という教師たちの思いが底流にあったのである。そして、「道徳性は学校の教育活動全体を通して行う」(文部科学省)という指針に従っていたからだということもできる。
『尋常小学修身書』(復刻版)。修身教科書は教育勅語を中心に編集された
『尋常小学修身書』(復刻版)。修身教科書は教育勅語を中心に編集された
 しかし、教科に格上げされる以上、そうはいかない。有り体にいえば、「高い自由度を認めない、させない」という狙いで、道徳科の設置が決まったのである。

 ところで「教科」とは何だろう。算数、国語、理科などに加えて、体育や音楽などを思い浮かべる人が多いと思う。

 例えば理科は「地学・生物学・物理学・化学」などの分野から構成され、それを子供たちの発達段階に合わせて、分かりやすくかみ砕いた形で教えられる。「地学・生物学・物理学・化学」は、それぞれさらに細かい分野別の科学的研究の上に構築されたものであり、学問的な根拠を持っている。体育や音楽も同様である。