社会科では、鎌倉幕府の成立はかつて「1192年(イイクニツクロウ)」と暗記された方が多いと思うが、昨今の研究をもとに、その記述は変化している。各教科は学問的根拠をベースにしているために、その研究の進展によって記述内容が変わることがあるわけだ。

 しかし道徳科はどうであろうか。本来ならば、その性質から考えれば学問的根拠は「哲学、倫理学」などがベースになるべきものだと思うが、文科省の学習指導要領のどこにもそうしたことは書かれていない。

 つまり、道徳科は教科となる学問的根拠を持っていないことから、いわゆる教科とは言うことはできないのである。文科省はそうした矛盾を「解決」するために「特別の教科 道徳」という立てつけをした。学習指導要領は以下のような6章構成になっており、道徳科が「第2章 各教科」の欄にないことからも、その苦しさが表れている。

第1章 総則
第2章 各教科(国語・社会・算数・理科・生活・音楽・図画工作・家庭体育)
第3章 特別の教科 道徳
第4章 外国語活動
第5章 総合的な学習の時間
第6章 特別活動


 道徳科推進派である昭和女子大の押谷由夫教授は「要としての役割」や「本来の教科の概念を超えて成り立つものであることから、特別の教科(スーパー教科)となる」と説明する。そして「道徳は教科とのかかわりだけではなく、特別活動や総合的な学習にかかわる。その意味でも特別の教科(スーパー教科)なのである」と強調している。

 しかし、どんな言辞を持っても、「第2章 各教科」に格上げすることには無理がある。その最大の理由は、すでに述べたように、道徳科が学際的研究成果と科学的根拠を持たないことにある。また、ベースになる基礎的な学問がないため、大学において(現時点では)道徳科の専門免許状を発効することはできない。

 学問的バックグラウンドを持たないということは「文科省が指定した内容が道徳である」ということであり、すなわち「道徳の内実は国家が決める」ということになる。根本的な問題がここにある。国家が道徳をコントロールした典型事例は戦前の修身である。修身が教育勅語とリンクし、軍国主義を下支えする役割を持ったことは論を俟(ま)たない。

道徳の教科化に戸惑いの声が聞かれた
日教組の第67回教育研究全国集会=2018年2月、静岡市
 また、教科になれば評価が伴う。人の心の内面を評価することに対する疑問や戸惑いの声が、教師たちからたくさん上がっているが、それは当然のことだろう。

 そもそも、現場教員の大半は道徳の教科化に反対している。2015年に行われた全国の公立小中高教員計9720人を対象に実施した調査(愛知教育大)によれば、道徳科に反対という意見は「小学校79%、中学校76%」と圧倒的である。にもかかわらず、なぜ「道徳科」が設置されたのだろうか。

 安倍政権下で発足した教育再生実行会議の提言には「今日多発化する青少年の問題行動の根幹に道徳性の低下がある」と書かれている。こうした主張を教育課程審議会などが引き継ぐ形で道徳科の設置が決まっていった。