茂木健一郎(脳科学者)

 人類の文明は、科学技術なしには成り立たない。そして、科学技術の大発見に導くのは、多くの場合一人一人の研究者の独創性、努力である。

 その意味で、ノーベル賞で科学に偉大な貢献をした方が顕彰されるのはすばらしいことだと思う。

 ただ、日本のメディアの報道のあり方には大いに疑問が残る。日本人が受賞するとうれしいというのは素朴な心情として分かる。ノーベル賞の受賞が日本の科学力、技術力の指標になるという思いも分かる。だが、少し度が過ぎていないだろうか。

 受賞者に日本人が含まれていたときのメディアスクラム的な喧騒(けんそう)に比較して、含まれていなかったときのベタ記事扱い、短報で済ませる差異が、あまりにも大きすぎる。

 人類共通の課題として、科学や技術をとらえるのならば、受賞者に日本人が含まれていなかったときにも、もっと報道してよいはずだ。

 新聞やテレビといったレガシーメディアの事大主義、思考停止が、最悪の形で表れているように感じる。結果として、科学リテラシーの向上に貢献せず、ノーベル賞をワイドショーの芸能ニュースと同じような扱いにしてしまっているのである。

 以前、スウェーデンのアカデミー関係者が来日したとき、興味深い発言に接した。ノーベル賞は「最も成功したビジネスモデルの一つ」だと言うのである。

 権威をただ受け身で有り難がる日本のメディアとは異なる精神性が、そこに感じられたからハッとした。

 ノーベル賞が注目される理由は、その選考が徹底して、公正に行われているからである。田中耕一さんが受賞されたとき、学会のインサイダーたちが驚いていたが、ノーベル賞委員会はそれくらい深く徹して関連分野の業績を調べる。日本の賞が、ともすればお手盛り、権威主義、集団主義になるのとは異なる。
2002年10月、ノーベル化学賞を受賞し、東京都内で記者会見する田中耕一氏(大西史朗撮影)
2002年10月、ノーベル化学賞を受賞し、東京都内で記者会見する田中耕一氏(大西史朗撮影)
 だからこそ、ノーベル賞は名声を保ってきた。スウェーデンのアカデミーの「最も成功したビジネスモデルの一つ」という発言は、きちんと選考する苦労を背景にしたものとして、重く受け止めた。
 
 そのようにきちんと選考しているノーベル賞だが、日本国内の受け止め方は、お祭り騒ぎで思考停止である。諸外国のメディアと比べても、日本のメディアの「軽薄さ」は目に余る。ノーベル賞を成功させた厳密な実証主義、権威を盲信しないフラットな世界観とは程遠い。

 ビジネスモデルとして成功したノーベル賞だが、そのあり方についてさまざまな批判があることも事実である。

 例えば、受賞対象になった研究が認められるまでの時間の長さ。アルフレッド・ノーベルの遺言では、「前年」に行われた業績に対して与えられるはずだった。

 同時受賞が3人までと決められていること。例えば、生物の研究室では研究室の「ボス」とともに、実際に実験を行う学生やポスドク(博士研究員)も重要な役割を果たすが、受賞対象はたいていの場合「ボス」だけである。純粋に科学的、論理的な視点から、このような慣習を正当化し続けることは難しいように思う。

 時代の流れとともに、ノーベル賞という「ビジネスモデル」が古くなってきていることも事実である。

 科学分野のノーベル賞の大前提は査読論文という形でその業績が残っていることだが、そのような前提が成り立たなくなってきている。