現代のイノベーションは、査読論文とは別の形で起こる。ビットコインなどの仮想通貨の基礎となったブロックチェーンの原理は、「サトシ・ナカモト」という匿名の人物により、突然ネット上に発表された。体裁は一応、一般の論文と同じ形式を取っており、おそらくは査読論文を書き慣れている人物によるものと思われるが、そこに本質があるのではない。

 ちなみに、ノーベル賞の受賞者に女性が少ないこともしばしば問題にされる。日本のメディアは、日本人女性の受賞者が出ることをこそ期待すべきだろう。女性の活躍はもっとあっていい。その意味で、ビットコインを提唱したサトシ・ナカモトが女性である可能性を主張する「サトシは女性だ(Satoshi is female)」という運動は注目されていい。この辺りも、日本のレガシーメディアは報道しない。

 話を戻すと、スペースXやテスラなどで目を見張る活躍をしている米国の実業家、イーロン・マスク氏は、減圧したチューブの中を時速1000キロ以上で移動する「ハイパーループ」と呼ばれる交通機関を提案している。ハイパーループの仕様書は、マスク氏によってネット上に突然公開された。もちろん、査読論文ではない。

 革新的なロボットを数多く生み出している米ボストンダイナミクス社は、一切論文を書かない。ロボット研究者に聞いても、「細かいところがどうなっているのか分からない」と言う。ボストンダイナミクスの発表の方法は、ユーチューブに動画を掲載することである。動画で見る限り、驚くべき能力を持つロボットを作り続けている。

 人工知能の研究は、「ステルス」モードで行われることが多い。大学とも国とも関係のない存在が、ある日突然画期的な「完成品」を発表して時代を変える。

 このような「オープンイノベーション」の実態と、その変化のスピード感を見ていると、ノーベル賞が前提としている科学や技術研究のあり方が大きく変化しているように思われる。果たして、ノーベル賞は時代についていけているのだろうか?

 人類の知的探求という視点から見ても、ノーベル賞はその一部しか把握していない。

 アルバート・アインシュタインは20世紀最大の物理学者だが、彼がノーベル賞を受けたのは「光電効果」についてであった。物理学的により重要な「相対性理論」は、受賞対象にならなかった。

 ノーベル賞が、医療や産業などの分野で大きなインパクトを与えた研究、つまりは「実用的」な研究を重視しているのは近年の傾向とも言えるし、アインシュタインの頃から変わらないとも言える。
2018年10月1日、ノーベル医学・生理学賞に決まり、会見を行う京大の本庶佑特別教授(永田直也撮影)
2018年10月1日、ノーベル医学・生理学賞に決まり、会見を行う京大の本庶佑特別教授(永田直也撮影)
 たまたま、アインシュタインは「光電効果」で引っかかって受賞したが、もし光電効果がなかったら、相対性理論というニュートン以来の革命を成し遂げたのに、ノーベル賞はそれを漏らすという失態を演じていたかもしれない。

 実際、ノーベル賞は、20世紀最高の天才の一人と言ってよい、今日のコンピューターの基礎を築いたアラン・チューリングを逃している。「ノイマン型コンピューター」をつくったフォン・ノイマンも受賞していない。

 ゲーム理論の基礎を築いたジョン・ナッシュこそ、経済学賞で「拾う」ことができたが、もし逃していたら、ノーベル賞が補足できなかった世紀の天才のリストが一名分長くなるところだった。

 文学賞では、より深刻な不整合があり、例えば、誰が見ても20世紀最高の天才文学者の一人であるジェームズ・ジョイスは受賞者ではない。

 ジョイスが受賞しないノーベル文学賞は、控えめに言っても、不完全な存在でしかないと言わざるを得ないだろう。

 ノーベル賞を思考停止で有り難がっているだけでは、人類の知的探求のど真ん中は見えてこない。自分自身の基準を持つことが大切である。