日本社会はまた「タテ社会」とも言われる。上下関係をはっきりさせるのが日本だ。英語なら、兄も弟も「ブラザー」だが、日本では兄と弟を明確に分ける。英語圏なら、生徒から見た教師も「フレンド」だが、日本の生徒が先生を「友達」と呼ぶのは失礼に当たる(英語のfriendは、日本語の友達より意味が広い)。

 日本の歴史の中で、私たちはずっと天皇制を守ってきた。政治の実権が天皇家から離れても、どんなに激変する歴史の中でも、建前上の日本のトップ、最高権威はずっと天皇陛下だった。「朝敵」と見なされることは致命的だったのである。

 そんな日本人にとって、「外国」は新しい権威だった。江戸から明治にかけてもそうだ。そして、先の大戦後、欧米は私たち日本人の憧れだった。

 終戦後、日本各地で大規模な反抗活動などは行われなかった。占領軍を進駐軍と呼び、スムーズに受け入れた。昨日まで「天皇陛下万歳」と叫んでいた大人たちは、あっという間に欧米式民主主義の礼賛者に変わった。

 戦後の歴史の中でも、日本人はずっと欧米への憧れを持ち続けた。欧米の映画やテレビドラマを見ながら、そのおしゃれな生活に憧れた。コーラやハンバーガー、ギターやジーンズ、クリスマスやホームパーティー。日本人は欧米文化が大好きで、次々と受け入れていった。

 一時期、日本映画が廃れ、米飯や日本食をさげすむ風潮まで登場した。現在では、「和」のブームも起きてはいるが、欧米好きが変わったわけではない。

 ハロウィーンのイベントなど、新たに取り入れている欧米文化もある。欧米ではやっているもの、欧米で高い評価を得ているもの、それはやはり素晴らしいものなのだ。外国への憧れは、日本の劣等感にもつながるが、その外国が日本人を認めてくれるのが、他ならぬノーベル賞なのである。

 戦後、戦争に負け、欧米への強い劣等感を持った日本人にとって、プロレスは最高の娯楽だった。大きな白人のプロレスラーが日本人レスラーを痛めつける。しかし、日本人レスラーは負けずに「空手チョップ」で、ついに白人レスラーをやっつける。「プロレスって、なんて気持ちがいいんだろう」。ノーベル賞はプロレスに似ているかもしれない。
ハロウィーン本番に仮装した人たちで混雑する東京都の渋谷駅前=2017年10月31日夜
ハロウィーン本番に仮装した人たちで混雑する東京都の渋谷駅前=2017年10月31日夜
 日本人は学問に関しても、権威を認める。大学の教員なら、上座に通されることが多い。昔の言葉で「末は博士か大臣か」というものがあるが、金持ちであることより、学問があることが尊敬されるのが日本だろう。実際は大学の教員といってもさまざまなのだが…。

 ノーベル賞は、日本の学問が欧米人たちによって認められた証しだ。こんなにうれしいことはない。