日本人受賞決定時や授賞式の関連記事は数も量もむしろ増えている感じで、専門分野の人しか知らなかった研究者が、次の日からほとんどの人が知る著名人になる。文学賞候補の村上春樹さんに至っては、毎年の残念会も大きく扱われる。もっとも、こうした報道は日本人に限ってであり、外国人受賞者の研究ならせいぜい社会面3段だ。

 日本のマスコミは自分で評価せず、権威の評価、意向を絶対視しがちだ。医療報道でも厚生労働省や学界、権威者の受け売りが多い。現役の時に苦労したが、ほめたりけなしたりする記事を編集者は載せたがらない。

 「こんな商品がいい」という記事は責任を伴うが、「○○を受賞した」と書くのは簡単だ。お金を出せばもらえる賞、ほとんど日本からの応募しかない国際賞でも受賞したのは、事実だからである。「それではマスコミはダメ」と思うのだが、世の中はなかなか変わらない。

 その点、ノーベル賞はどの面から見ても最高度の安全だ。賞金額は最高級だし、かつてはがんの寄生虫説などの間違いもあったが、近年はスウェーデンの学界を挙げての選考に、評価も妥当という感じがする。王室も全面的に協力し、授賞式や晩さん会などを盛り上げ、国全体の宣伝になっている。

 第2のノーベル賞を目指して1985年から創設された「日本国際賞」は、国全体の協力態勢が不十分なのか、宣伝力も今ひとつだ。

 日本ではノーベル賞候補の呼び声が高まると国内の他の賞を受けやすくなるといわれるし、受賞者はほぼ自動的に文化勲章も贈られる。ノーベル賞はまさに「賞の中の賞」になっている。
ノーベル賞受賞を受け会見する本庶佑京都大学特別教授。多数の報道陣が集まった=2018年10月1日午後、京都大学(奥清博撮影)
ノーベル賞受賞を受け会見する本庶佑京都大学特別教授。多数の報道陣が集まった=2018年10月1日午後、京都大学(奥清博撮影)
 そうした日本での騒ぎが感染したか、賞金額のアップが効いたのか、ノーベル賞の報道は欧米でも増えてきている。また、近年は米国に次いで日本の受賞者が多いことへの対抗意識からか、中国や韓国でもノーベル賞への関心が高まっている、といわれる。

 さて、2017年は日本生まれ英国在住の作家、カズオ・イシグロさんが文学賞を受賞した。日本は連日、大騒ぎなのに英国では記事も少なく、ほとんど騒がれなかった、との朝日新聞記事が目についた。日本のマスコミから見ても「騒ぎすぎ感」がないわけでもなさそうだ。

 一方で、ノーベル賞のもとは研究者の興味、関心に基づく基礎研究だ。政府はその研究費をどんどん減らしており、このままでは日本人の受賞は激減するとの予測もある。騒ぎたくとも騒げなくなるとの懸念がないわけでもない。