『今昔物語集』という平安時代の物語集の名前を、読者の方々も一度は聞かれたことがあると思う。その巻第一の第六話は「天魔、菩薩の成道(じょうどう)を妨げんとすること」なるタイトルだが、これは菩薩=釈迦の仏教修行を、天魔(第六天魔王)が邪魔しようとした、という意味だ。

 その中で、弥伽(ミカ)と迦利(カリ)という天魔の姉妹がそれぞれ手に「髑髏(どくろ)の器」を持って釈迦の前に現れ、いろいろ妖しいポーズをとってみせた、という一節がある。この髑髏の器というのが、そのままドクロの盃のことなのだ。

 第六天魔王とドクロの盃。二つをつなぐ元ネタがある以上、第六天魔王を名乗った信長が3人の首をドクロの盃に仕立てたとしても、不思議はない。仏教に対する外法(げほう。魔法、魔術、妖術なども含む)に使われる髑髏は、外法頭(げほうあたま、げほうがしら)と呼ばれることからも、ドクロの盃は「仏教の敵対者」としての象徴を意味する。

 前年に第二次長島一向一揆攻めで失敗し、この正月の宴の直後には越前一向一揆に蜂起されることになる信長にとっては、「今年は刃向かってくる仏教勢力との戦いの正念場だ」という宣言でもあったのかもしれない。実際、この数カ月後に長島一向一揆は皆殺しにされ、さらに翌年には越前一向一揆も殲滅(せんめつ)される運命をたどっている。

 箔濃(はくだみ=薄濃)については中国の『史記』に記述があり、台湾の故宮博物院には祭儀に用いられた箔濃が収蔵されているという。

 こうして浅井久政・長政父子と朝倉義景のドクロは第六天魔王の象徴的アイテムとして漆塗りにされ諸将の前に飾られた。
戦国武将の浅井長政らを描いた絵画=和歌山県高野町(山田淳史撮影)
戦国武将の浅井長政らを描いた絵画=和歌山県高野町(山田淳史撮影)
 だが、どうも信長はそれだけのためにドクロを見せ物にしたわけではなさそうだ。

 漢字研究の大家である白川静氏によれば、古代中国では偉大な指導者の「髑髏」が大切にされて魔除けのために祀られ、その色が「白」という漢字の起源になったという(『漢字百話』(中央公論新社)ほか)。

 野ざらしで白くなった英雄のドクロ。それをたたくことでドクロの生前の霊を迎え、まじないの効果をあげようとされていたというのだから、この点でも魔除け好きな信長との接点が出てくる。浅井父子と朝倉義景は4年間にわたって信長を苦しめ続け、あわや破滅かというところまで追い詰めたほどの武将だったから、その呪霊の力も相当なものに違いない。