道路・橋をつくる、新しい立派な庁舎をつくる、役人や地方議員の報酬、退職金を上げる…。すべては国家版「ふるさと納税」である地方交付税交付金、補助金依存で賄われてきた。地方自治体が自助努力で財政を健全化したりすると地方交付税交付金、補助金が削られるのだから、地方自治体の自助努力はもっぱら財政を赤字にする方向に使われた。

 地方自治体は横並び体質となり、競争や自助努力を放棄し、親方日の丸の親鳥が持ってくるおカネをヒナ鳥のように口を開けて待っているというやり方を疑うことなどなかった。「地方間の不均衡を調整する」という究極の護送船団方式は、国の地方自治体行政でも魔法の杖であった。

 それでも経済は回っていたわけであり、日本は社会主義経済モデルで成功した世界で唯一の国と揶揄(やゆ)されていたのである。

 ところで、現状のふるさと納税だが、あっという間に定着するどころか爆発的に急拡大をみせている。首都圏などに住む人々からすれば、今や消費購買の本流であるオンラインショッピング、ネット通販となんら変わるところがない。税金面で多少の恩典があり、厳選した返礼品が自宅に届く。その上、一般のネット通販サイトよりも返礼品の方が地方の逸品を揃えているという面が現実である。

 これでは、ふるさと納税を規制するといっても、もう止まらない。東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県など首都圏地方自治体は、税収が抜かれるのだから真っ青である。それまでかいていた胡坐(あぐら)から、にわかに正座に姿勢を変えなければならない事態になっている。

 国の「ふるさと納税」、すなわち地方交付税交付金、補助金は「地方間の不均衡を調整する」というものだった。しかし、今のふるさと納税は、人々がそれぞれの欲しいモノ、サービスを自由に選択するものだから、市場経済のマーケット原理に委ねられている。ベクトルが社会主義から資本主義に変わっているのだ。

 ふるさと納税は、人々の「選択の自由」を基軸にしているわけである。地方自治体が返礼品に趣向を凝らすのもマーケット原理からすれば当然のことになる。人々に選ばれないような返礼品では見向きもされない。人々に選ばれる返礼品を必死に揃えようとする。需要者の「選択の自由」には、競争原理で対応するしかない。
埼玉県深谷市がふるさと納税の返礼品として電子感謝券を導入し、「道の駅はなぞの」で商品との交換を始めた=2018年5月29日、埼玉県深谷市の道の駅はなぞの(石井豊撮影)
埼玉県深谷市がふるさと納税の返礼品として電子感謝券を導入し、「道の駅はなぞの」で商品との交換を始めた=2018年5月29日、埼玉県深谷市の道の駅はなぞの(石井豊撮影)
 ふるさと納税の還元率は30%を上限にしろ、地元産品に限定にしろ、友好・提携都市の特産品は排除する、と国が箸(はし)の上げ下ろしまで規制するといっても、社会主義はすでに通用しない。還元率うんぬんにしても自治体が負担しているのではなく、返礼品を供給する地場企業が負担する原価が基準なのだろうから何とでもなる。それに規制というものは、それを回避する術が絶えずついて回るものである。ふるさと納税の意義は、地方自治体にマーケット原理である競争を学習させたことになる。

 最近では、地方都市を取材すると、ふるさと納税のみならず、インバウンド客を取り込もうとする動きがみられる。首都圏、関西圏、名古屋圏などの大都市に集中するお客をなんとか地方都市にまで呼び込んで地域におカネを落として欲しいというマーケティングが推進されている。