前述したように、国民皆保険サービスが日本や欧州で設計されたのは戦後すぐのことでした。戦争でかなりの数の人が亡くなり、人口も今より少なく人の移動もほとんどありませんでした。当時は人々の収入格差も今と比べて大きく、高額納税者の所得税は70%とか80%に達することもありました。つまり、ごく少数の大金持ちからお金をむしり取ってそれを貧民の健康維持に使い、社会全体を何とか回して行こうという仕組みでありました。

 しかし、この仕組みは、使う人の数が少なければ成り立つのですが、使う人が多く、さらにその数が急に増えたりするとシステムが崩壊してしまいます。この状況がかなり過激なことになっているのがイギリスをはじめとする欧州各国の国民皆保険制度です。EUの移動の自由化で何が起きたかと言うと、東欧や西側諸国の貧しい国や町から豊かな都市へ人々が大規模に移動して住み始めたことでした。住むのも働くのも許可が一切いりませんから、当たり前の状況です。

 そして、10年ばかりの間に特定の町の人口が急激に増え、病院利用者が大幅に増加しました。しかし、病院の予算は国保や税金で賄われており、その予算が急激に増えるわけではありません。移動してきた人の中には短期滞在の季節労働者や学生も大量にいました。

 さらに、欧州では日本のように高齢化が進んでいるので、高齢者の病院費用も激増しました。そこで発生したのが質の激烈な低下です。イギリスの場合は時間外の夜間緊急窓口に行った場合、4時間から8時間待たされるということも珍しくありません。

 重症者を優先するからという言い訳がありますが、かなり具合が悪くても廊下で長時間待たされることがあります。MRI(磁気共鳴画像装置)やCTスキャン(コンピューター断層撮影装置)などの機器も少なく、検査を受けるのに2カ月、3カ月待たされることも当たり前です。

 病院はお金がなく、人が雇えませんので外科医やスタッフの数も多くはありません。手術が当日や前日になってキャンセルされてしまい、数カ月先に延ばされてしまうということもあります。また、入院ベッドの数も足りないので一般家庭に患者の面倒を見ることを外注する仕組みにまで手を出し始めています。

 私は世界各地のいろいろな病院で世話になっていますが、イギリスの病院の中には中国やロシアの病院よりもひどいところがありました。
(ゲッティ・イメージズ)
(ゲッティ・イメージズ)
 このような状況にもかかわらず、健康保険の費用というのは安くはなく、年収が700万円ぐらいまでの人は収入の9%を支払い、年収が700万円を超える人の場合は2%を払います。高額収入者の場合はこの2%というのは莫大な金額になりますが、受けられるサービスは、病院によっては発展途上国並みのサービスです。

 高いお金を払ってもサービスを受けられないので中流以上の多くの人は民間の保険に入ってプライベートで医療サービスを受けています。つまり自分が払っている健康保険は他人の治療に使われているわけです。

 このような状況ではありますが、イギリスの国立病院は太り過ぎの人に減量手術を提供したり、海外で整形手術を受けて豊胸手術に失敗した人に対して修正の手術を行います。海外から飛行機でやってくる臨月の妊婦は無料で出産をすることができます。かなり進行した白内障の老人が海外から飛行機でやってきて緊急で手術を受けることもあります。費用を徴収しようとしても外国に逃げてしまうので回収できないことも多いです。