戸塚宏(戸塚ヨットスクール校長)


 私は工学部出身である。それなのに図らずも文科系の教育分野に入り込んでしまった。そこでまず、感じたのが「何という非科学性、非論理性」である。科学の定義は「再現性」である。その理論、法則に従って行動すれば、必ず所期の成果が出る。

 厚生労働省などによると、大学を卒業した若者のおよそ3割がニート(就学も仕事もしていない若者)だという。また、ニートにならず、会社で働き続けている者も仕事の能力は下がっているようだ。これは日本がやがてつぶれるということであり、私は全て教育の失敗によるものだと考えている。

 そもそも、教育は教育論により行われる。教育が失敗するのはその教育論が間違っているからだ。つまり、非科学であるということだ。正しくかつ科学的教育論で行えば、教育は荒廃しないし、ニートなどできはしないはずだ。

 それなのに文部科学省は今の教育論にしがみつき、変えようとしない。「偏差値秀才」という教育の失敗者の多くが官僚やマスコミ人となったからだ。偏差値秀才は自分が偉いと思わないと生きていけないので前言にしがみつく。そして反省する能力がない。

 「君子、豹変(ひょうへん)す」とは、大物は間違っていると分かればサッと正すことができるということである。前言にしがみつくのは偏差値秀才が小物である証拠だ。おかげで何百万という若者の人生が無駄なものになっている。誰がその責任を取るのか。

 また、教育論は精神論からつくられる。今の教育論をつくる精神論は欧米のラショナリズム(理性主義)だ。ラショナリズムは科学ではない。宗教と哲学が融合したもので創造論である。科学と呼べる代物ではない。
戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長
戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長
 それに比べて「大和魂」(日本民族固有の精神)はラショナリズムとは真逆であり、最も科学的な精神論だ。それゆえ、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥が精神のクーデターを起こし、大和魂をラショナリズムに替えさせた。

 そして日本の官僚やマスコミは偏差値秀才だからマッカーサーの「ポチ」となり、それをありがたがった。大和魂を身につけていればそんなことはしないのだが、偏差値秀才は思考力、人間性、行動において劣るため、大和魂は身につけられない。だからアメリカの思うままに操られてしまった。

 そこで「体罰は悪」は科学かどうか考えてみよう。「体罰は悪」という意見を持っている人にぜひ問いたい。体罰の定義は?  善悪の定義は?  この二つが科学的に定義でき、しかもそれがシミュレートできるなら「体罰は悪」は科学だ。だが、一体これを誰ができるのか。