そもそも朝日生命体操クラブという私的な指導者が夫婦で体操協会の幹部であり、絶大な権限を持っていることも歪(いびつ)である。過去において、正式な競技会で自クラブの選手に不可思議な採点方法で高得点を与え、他チームから大会をボイコットされた前歴を持つ指導者である。ボクシング協会による審判不正「奈良判定」に匹敵する不祥事であるが、その責任を取って一度は役職を引いた人間が再び重要ポストに返り咲いたことも、面妖なことである。

 塚原光男副会長と親交のある人物は彼のことをこう証言する。「さっぱりしていて男気で、よく若い者を食事に連れて行ったりする優しい人です」と。しかし、パワハラとこの人物像とは何の関係性もない。「巧言令色 (こうげんれいしょく) 鮮(すくな)し仁」である。何よりも悪いのは、守りたい組織と自分が経営するクラブが等価値となっており、そんな夫婦が協会の上層部で権力を振るっていることである。

 組織の長に登り詰めた人間が「権力」の魔力に陥って、「公」と「私」の使い分けができなくなった典型とも言える。彼らは私(自分)を優先したパワハラを行った。18歳の少女を権力が集中している夫婦の通称「千恵子部屋」という部屋に一人呼ぶことの意味と、その恐怖が彼らには理解できないのだろう。彼らは「私」を行使したが、私は「公」(選手)を育てる過程での体罰、パワハラは必要であるという信念を持っている。

 技術(理論)を超える精神論が結果を導くために不可欠であることは、衆目の一致するところだろう。どんなに立派な技術や体力を保持しても最後は「心が体を動かす」のであり、メダリストや一流アスリートは結局のところメンタル(精神)を語る。「根性論」は過去の悪癖の代名詞だが、どんなに科学的、理論的といえどもその実践は根性論からなる精神の昂(たか)まりである。強い精神力を作るためにも本人を鍛錬して“追い込む”ことは必須である。
開星・野々村直通監督(当時)= 2011年8月14日、甲子園球場(恵守乾撮影)
開星高校の野々村直通監督(当時)= 2011年8月14日、甲子園球場(恵守乾撮影)
 その追い込みの過程でパワハラ扱いされ、指導者が追放されていいのか。情熱ある指導者がその熱を削がれ、去勢され、優しいだけの指導者になっていいのか。日本は、すべてが中庸で、ナチュラルで、ニュートラルな中性的民族に向かっているようで強い危機感を覚えている。

 「暴力」は犯罪である。しかし、「体罰」はそもそも教育における指導の手段の一つであり、「学校教育法」で禁止されている現状があるというだけのことである。体罰は本当に「絶対悪」なのか。どんな状況においても絶対に行使してはならないものだろうか。今こそ真剣な論議が待たれるところだが、今の軟弱な日本では遥かに望むべくもないことであろう。