しかし、国内統治に目を向けると、2017年11月にライバルだった王族多数を汚職容疑で逮捕するなど、権力層への粛清を断行。外交でも、イランとカタールを極端に敵視し、特にカタールとはイランやイスラム・テロ人脈との関係を口実に、2017年6月に断交するなど、強硬な姿勢を打ち出している。

 もっとも、サウジにおける王家体制の恐怖支配は、ムハンマド皇太子がいきなり始めたわけではない。もともとサウジは徹底した警察国家であり、政治的な自由は全くない国だった。少しでも王家に批判的と判断されれば生き残ることは難しい。事実上、王家批判は存在を許されないと言っていい国家である。

 反体制派としては、イスラム過激派「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」、あるいは東部に居住する少数宗派のシーア派の指導者、あるいは民主改革派ブロガーなどは、王家に反逆する者として激しい弾圧を受けた。ムハンマド皇太子の強権的な手法は、その伝統を受け継いでいるということになるが、彼の場合はそれだけでなく、ライバル関係にある有力な王族メンバーへの弾圧まで乗り出したというところまで、専制的な姿勢が徹底している。

 こうしたムハンマド皇太子の強権的な統治に対しては、サウジのエスタブリッシュメント層からも批判が出ている。王族のメンバーからの批判もあるが、カショギ記者の批判もその流れにある。

 カショギ記者自身はもともと王族と親しい関係だったが、ムハンマド皇太子の強権的な統治手法を批判して国外に出た。ただし、身の危険から「王室批判ではない」ことを本人はかねてより強く主張していた。

 それでも、逆らう者は許さないのがサウジ王家だ。ムハンマド皇太子はそうした伝統にのっとって、批判者を「処刑」したのだろう。

 もっとも、ムハンマド皇太子の暴虐は、こうしたサウジ国内の反皇太子派などに向けたものにとどまらない。実は、国外ではそれよりずっと大掛かりに「殺戮(さつりく)」を行っている。隣国イエメンでのサウジ軍による空爆がそれだ。

 イエメンでは2015年から内戦が本格化した。同年1月、少数宗派シーア派系のフーシ派というグループがクーデターを実行。ハディ大統領の政権が崩壊し、同年2月にはフーシ派が首都サヌアを制圧し、政権を掌握した。
2018年3月、ロンドンを訪問したサウジアラビアのムハンマド皇太子(AP=共同)
2018年3月、ロンドンを訪問したサウジアラビアのムハンマド皇太子(AP=共同)
 それに対し、シーア派の勢力拡大を敵視するサウジが主導し、同年3月、湾岸諸国が参加する有志連合が組織された。そして、サウジ空軍を主力として、フーシ派制圧エリアへのすさまじい無差別空爆を開始したのだ。

 サウジは米国から大量の新式兵器を購入しているが、そうして整備された強力な空軍による空爆により、フーシ派エリアでは一般住民の被害が激増した。民間人居住地への無差別攻撃は明白な戦争犯罪だが、こうしてサウジは非道な戦争犯罪を極めて大規模に、現在に至るも継続している。