先述した「進歩的文化人」は、当然のことながら「革新」であり、メディアの多数はこちらの陣営に属した。政治学者の丸山真男に代表される学会や評論家も彼らの支配下にあったと言ってよい。自民党政権に好意的な態度を取ると「保守反動」と罵られるため、知識人はポーズだけでも「革新」ということにせねばならなかった。

 これは、実は戦後の高度経済成長が許した「甘え」だったと言ってもよいが、そのぬるま湯に漬かった日本人に冷水を浴びせかけたのが、73年に起こった石油危機である。79年にも第2次石油危機が訪れるが、この二つの石油危機が、第三の要因である。

 原油価格次第では日本の繁栄は砂上の楼閣となるかもしれず、もはや「革新ごっこ」を楽しんでいる余裕などなくなった。団塊の世代も、生きていくためには「革新」という仮面を捨てるしか手がなかったのである。

 第四の要因は、1989年のベルリンの壁崩壊であり、東西冷戦の終焉(しゅうえん)である。米ソ二大陣営間の競争はソ連の敗北に終わり、日本でも革新勢力の影響力が大幅に減退し、「進歩的文化人」も博物館入りするようになっていった。しかしながら、自民党が政権を担う状況は続いており、国のかじ取りに対する不満は自民党の責任にする以外になかったのである。

 ところが、90年代に入ると、そのような政治にも変化が現れる。政権交代である。これが第五の要因である。

 93年には、非自民・非共産の細川護煕政権が誕生するが、263日で退陣し、後継の羽田孜内閣も64日の短命に終わった。その後、自民党・社会党・さきがけの連立による村山富市内閣を経て、96年11月には、連立政権を引き継いでいた橋本龍太郎による自民党単独政権となる。

 93年の政権交代は、自民党から飛び出した小沢一郎や羽田孜が主導したものであり、結局は旧自民党の「へその緒」をつけたものであったと言っても過言ではない。

 しかし、2009年9月の政権交代は、自民党と正面から対決した民主党の圧勝によるものであり、初めての本格的なものであった。私は麻生内閣の閣僚であったが、政策の中身よりも「政権交代」の4文字に負けたと思っている。

 多くの国民が、変革への期待を民主党に寄せたのである。「コンクリートから人へ」というスローガンなどが、自民党による旧態依然とした利権政治に風穴を開けるもとして魅力的に映ったのであろう。