倉山満(憲政史家)


 ある筋から「若い人々の中には改憲に反対する共産党が保守で、改憲を目指す自民党などが革新と勘違いしている向きもある」との話を聞いた。たぶん単なる勘違いなのだろうが、彼ら彼女らを不勉強と切り捨てるのは忍びない。

 そもそも保守とは何か。人によって好きに定義してよいと思うが、「その国の歴史文化伝統を守り抜く態度」は一つの定義だろう。普通の国の憲法は、「その国の歴史文化伝統そのもの」のことであり、それを確認のために文字にしたものが憲法典である。

 ところが日本国憲法は、わが国の歴史文化伝統を否定する目的でアメリカ占領軍から押し付けられた。のみならず占領軍が去った後もわが国の最高法として押し頂いている。そして70年以上が過ぎた。

 わが国の歴史は公称2678年、どう少なく見積もっても1400年は続いている。その中の70年などたかが20分の1だが、それでも現在進行形の最近の70年強である。この70年こそわが国の伝統であり、保守すべきだと考える人間が出てきてもおかしくはあるまい。

 保守とは何かを、外国と比較してみよう。たとえば、ロシアである。ロシアの保守すべき伝統とは何か。間違いなくタタールの軛(くびき)の時代ではないだろう。モンゴル人に支配された時代を懐かしがるロシア人は、一人もいるまい。

 軛を脱したイヴァン3世は今でもロシア人の英雄だが、では民衆が圧制に苦しめられた帝政に復古したがる人がどれほどいるか。ロシア革命から74年後、ようやくボリス・エリツィンがソ連共産党から国を奪い返した。今のウラジミール・プーチンはソ連時代を栄光と考えているようでもあり、帝政時代の皇帝のごとく振る舞っている。

 さて、ロシアの保守派とは誰か。帝政時代は、皇帝側近の反動勢力が保守だった。この人たちは、あらゆる改革に反対し続けた。逆にソ連時代は、共産党によりロシア民族主義は徹底的に押さえつけられた。ソ連時代は、共産党支配への支持こそが、保守だった。

 その共産党を打倒したのがエリツィンである。エリツィンはソ連時代には改革派としてソ連共産党から付け狙われたが、ロシア連邦初代大統領となってからは保守派の権化となった。では、そのエリツィン時代を否定し、ソ連や帝政への回帰を目指しているプーチンはロシアの保守なのか。議論は分かれよう。
嘉納治五郎杯国際大会で日本対ロシア戦を観戦する安倍晋三首相(右)とロシアのプーチン大統領=2018年9月、ロシア・ウラジオストク(古厩正樹撮影)
嘉納治五郎杯国際大会で日本対ロシア戦を観戦する安倍晋三首相(右)とロシアのプーチン大統領=2018年9月、ロシア・ウラジオストク(古厩正樹撮影)
 実は、保守とは相対的なのかもしれない。これはフランスの場合さらに顕著であり、大革命の時代は王党派こそが保守であり共和派など過激派にすぎなかった。ところが、今のフランスでは共和主義こそ保守が守るべき伝統とされ、王党派の方が過激派扱いされる。その証拠に、今のフランス憲法には共和政体の変更不可が明記されている。現実の王党派がいかに穏健な人々であろうが、本気で王政復古を企てた瞬間に過激派なのである。

 ここでわが国の話に戻ろう。保守の定義は、守るべき歴史や伝統文化を、何に求めるかであろう。仮に政治体制とした場合、日本国憲法体制の擁護が保守であるとしても、必ずしも間違いではなかろう(と冒頭の若者たちが考えているとは到底思えないが)。では、政治体制こそが、その国の歴史文化伝統であるかと言えば、必ずしもそうは言えない。

 たとえば、アメリカ合衆国は、合衆国憲法に規定される政治体制こそが、国家体制そのものである。ジョージ・ワシントンがジョージ3世の圧政に対し武器を持って立ち上がったという建国神話から始まる歴史、その結果として続いている憲法体制こそがアメリカの伝統そのものである。ただし、そのアメリカでも国柄や国民性は存在し、必ずしも憲法典から派生するわけではない。