ちなみに、あまりにも情けないので大学名は秘すが、明治時代に創設の某名門弁論部はホームページで「国家公務員試験合格者数」を売りにしていた。明治時代に主要私立大学で弁論部が次々と発足されたのだが、藩閥官僚に対抗する党人政治家を養成するためだ。

 早稲田大学雄弁会創設者の大隈重信を筆頭に、尾崎行雄、犬養毅、三木武吉、松村謙三、中野正剛、緒方竹虎、浅沼稲次郎、大野伴睦、三木武夫、等々。いずれも官僚政治と戦った人たちである。どうでもいい話だが。

 一応、弁論部出身者として後輩諸君を弁護しておくと、1998年以降の大不況で、「大学生の中心活動が就職活動」という愚かな時代に巻き込まれたのである。政治どころか、自分の生活から心配しなければならない状況だ。

 さらについでに、民主党政権の頃に私は大学弁論部の弁論大会の審査員として何度も招かれたものだが、天下国家を語る弁論など、ゼロ。過半数は、「年金弁論」である。19や20の若者が自分の年金について心配するなど、異常な状況ではないか。社会に関心がある若者の集団でこれである。

 だから、「いまどき」の若者が政治に関心を持っているはずがなく、その中の少数の若者の中のどれくらいの多数派が安倍政権支持なのかは知らないが、少数派の中の多数派の割合を分析しても何の意味もない議論であることは説明不要であろう。

 もう一つ、ついでに言うと、どこの業界でも「若者のネット離れ」の深刻さに悩んでいるし、逆に高齢者のスマホ普及率は劇的に向上している。確かに、フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどの代表的ネットメディアの年齢別利用率は若者の方が高いが、高年齢層の利用率も年々あがっている。また、インターネットを利用する若者の中で最も関心が高いのはゲームである。政治に関心を持つ若者自体が少数派である。

 よって、老人はテレビしか見ない左翼だから「テレサヨ」、若者はネットで右翼的傾向になるから「ネトウヨ」などというステレオタイプの大根切りは控えるべきだろう。ということで、「老人」「若者」という括(くく)りもどれほどの意義があるのか不明だが、あえて踏み込んでみる。

 老人と若者の世代間対立を生む問題と言えば、何を言っても経済である。蓄えで暮らす年金受給世代にとって低金利は不利だが、若者にとってはアベノミクスによりバブル期以来の就職売り手市場である。若者が安倍政権を支持するのは当たり前だろう。これを「保守」が支持されたなどと勘違いしては、思い上がりだろう。

 リーマンショックで日本を地獄にたたき落した無能な麻生政権に辟易(へきえき)した国民が「鳩山由紀夫でもイイから、麻生太郎は嫌だ」と民主党政権を選び、目も当てられない鳩山・菅・野田の三代の内閣に飽き飽きしたところに、返り咲いた安倍首相が景気を回復軌道に乗せてくれている。

 6年もたって「民主党(と麻生)よりはマシ」以外に何の実績があるのか知らないし、財務省と喧嘩してメソメソと負けるような頼りない首相だが、今のところ他に代わる人もいないので消極的に支持している。こんなところだろう。これが保守化と言えるのか。

 ただし、「保守」には「現状変革を望まない」との意味がある。老年世代の中で左傾の人たちは安倍政権のやることなすことが気に入らないだろうから、日曜の朝はTBS系の「サンデーモーニング」を見て留飲を下げ、チャンスがあれば沖縄県知事選で自民党を負かす投票行動をする、というくらいのことは言えるかもしれない。それとて、日本国憲法体制という大きな視点で見れば「保守」とも言えるのだが。

 若者に関して言えば、何と言っても地獄のような就職活動から解放してくれたのだ。安倍首相を支持するのは当然ではないか。確かに今から消費増税を宣言し、「増税しても景気を悪化させないよう対策する」などマヌケな言動を繰り返している。少し学力のある大学生なら、首相の知性を疑うだろう。
参院予算委員会で答弁を行う安倍晋三首相=2018年11月、国会・参院第1委員会室(春名中撮影)
参院予算委員会で答弁を行う安倍晋三首相=2018年11月、国会・参院第1委員会室(春名中撮影)
 「景気が悪化するなら最初から増税するな」「そんなに増税したかったら、景気を完全回復させてみろ。それまで待てないのか」「結局、いくら屁理屈(へりくつ)を並べても財務省と喧嘩して負けただけではないか。その屁理屈作文も財務省に用意してもらったのではないのか」と。それでも、今のところは景気が悪化しているわけではないし、積極的に倒閣して現状変革して余計に状況が悪化しても困る。その意味で保守化しているのは確かではないか。

 そもそも今の日本の言論界での保守の定義は、「安倍政権への支持」である。現実の論壇での多数派のようなのでその定義に一応は従うが、その支持の実態を少しは分析してみないと、「若者の投票行動が安倍政権支持だから保守だ」などと短絡的に考えると色々なものを見誤るだろう。

 いいかげん、「安倍0点」の左下と「安倍100点」の右下の不毛な議論から卒業しないと、取り返しがつかなくなる。その二つ以外のマトモな議論の存在する余地がないからだ。人間の評価に二者択一の100点か0点かなど、ありえない。絶対に間違っている二択の議論は、国を亡ぼす元(もと)だ。