ここ数年で組合員になった外国人労働者の場合、観光目的の「短期滞在」や「技能実習」の資格で入国し、在留中に難民申請するケースが多い。大半は、都内や神奈川や千葉、埼玉の飲食店、焼き肉店、居酒屋などで働く。男性は厨房での料理補助や食器洗い。女性は、ホールで接客をすることが多い。1日10時間ほど働き、休日は週に1日で、給与は額面で月20万円前後。50人以下の中小企業で働く人がほとんどだ。

 山口氏はこう語る。

 「組合員が最も多いミャンマー人は、学歴に強い思いをもつ人が多い。祖国のミャンマーではヤンゴン大学などの名門大学に在籍していて、1980年代から90年代前半に民主化を求める学生運動を行い、軍事政権からの迫害を避けるため日本に亡命してきたからです」

 組合員のリーダー的な存在は、40~50代のミャンマー人だ。多くは、来日後にミャンマー人の女性と結婚している。現在、夫婦共働きで生活を維持する。生まれてきた子どもの国籍はミャンマーのままにしてあるが、日本の公立の学校に通っている。

 中には、日本の大学を受験する者もいる。親である彼らは、わが子が学習塾や予備校に通う学費を稼ぐために、必死で働いている。山口氏は「彼らは祖国でエリートであっただけに、子どもの学歴にかける思いは強烈」とみる。

 「日本では、彼らのことを高学歴とは認めません。多くはこの20数年間、飲食店の厨房で働いたり、建設現場で肉体労働をしたりして収入を得るしかなかった。私と2人だけになったときに、こう打ち明ける人がいます。『自分はどうしてこんな肉体労働をしているのだろう。子どもには、私が味わっている無念な思いをさせたくない。日本で学歴を身につけさせ、日本か、母国で医師にさせたい』と」

 山口氏にはその姿は30~40年前、「受験戦争」と言われたころの日本人の親たちと重なって映るという。しかし、現実は厳しい。日本人の生徒の成績と比べると、彼らの子どもの成績は低い場合がある。山口氏は組合員たちとの懇親会などでミャンマー人の子どもと接するが、ほとんどが日本語の壁に苦しんでいるように見えるようだ。

 「日本語を話すことができたとしても、書いたり、読んだりすることが十分にはできない。日本語の初級から学び直すことをせざるを得えない子どももいる」