「みんな」が「一生懸命」やっているのだから悪く言わないでという擁護を繰り返し見て感じるのは、若年層のファンの一部は、まるで自分の好きなアーティストは社会的に弱い立場にいるかのように思っているのではないかということだ。

 RADWIMPSやセカオワは、興行的に成功しているバンドといって差し支えないだろう。国内外に多くのファンがいる。だからこそ、発言や行動がときとして批判されることがある。それを「一生懸命やってるんだから」とかばうのは、まるで自分の弟妹か子どもをかばうかのような理屈だ。この、自分たちの好きなものへの無垢さは何なのだろう。

 かつてセカオワのボーカルと交際関係にあり、現在もメンバーと親しく交流するきゃりーぱみゅぱみゅは、このタイミングで3連続ツイートをした。

「クリエイティブなものなのに言いがかりつけて表現できなくなって死んでいくことが悲しい。攻めていけない世の中」
「くそつまらん!!!!!!!!!」
「なんでも文句言ってくる姑みたいな大人にだけはなりたくない」


 これがセカオワの騒動について触れてのことであれば、いただけない。「クリエイティブなもの」に、一般人は抗議の声を上げてはいけないのか。

 また、セカオワの舞台セットは新しいものだから批判されているわけではなく、古臭い価値観に縛られているように見えるから批判されている。つまり「攻めて」いるのではなく旧来のジェンダー観を「守って」いるように見えるから批判されていることをわかっていない。

 「フィードバックをください」と日本語で書く韓国ファンの多くは対話を求めている。しかし、日本のファンの一部は、抗議や疑問の声を「悲しいこと」「あってはならないこと」のように捉えてしまう。一生懸命やってるんだからと擁護し、「抗議なんて無視すればいい」もしくは「メンバーに何かあったら危険だから韓国ツアーは中止して」といった100か0かのような結論を出そうとする。

 まるで、過保護な保護者のようだ。彼らはそうやって育てられてきたのだろうか。

 意見の対立や議論、対話から新しく生まれるものがある。世の中に発表されたものについて、誰でも批評していいし、意義を唱えることもできる。批評や異なる意見は、新しいものの見方を知る機会でもあるし、新しいクリエイティブが生まれるきっかけにもなる。そういったことを若者たちが知らないのであれば、大人たちが行ってきた教育の結果なのだろう。