2011年の東日本大震災当日、パリにいたゴーン氏は、連絡を受けるや「(日産本社の)横浜に帰る」と言って関係者を驚かせた。福島県にあった日産いわき工場は多大な被害を受け、あわや撤退の危機にあった。

 しかし、ゴーン氏はいち早くいわき工場に足を運び、「必ず工場を早期再開する」と宣言した。実際に被災から1カ月余りで一部生産再開にこぎつけた。ゴーン氏の訪問とその言葉に、震災と原発事故のダブルパンチを食らった従業員やいわき市民は、強く勇気づけられたという。

 それぞれの国や地域、文化をリスペクトし、最大限に配慮する「情」の姿勢である。だからこそ、日産社員は激烈な「ゴーン改革」に必死についていき、現在のような復活を果たすことができた。

 とはいえ、ゴーン氏のトップ君臨は、あまりに長かったということだろうか。

 11月19日、日産社長の西川氏は会見の席上、今回の事件について「長年のゴーン統治の負の側面といわざるを得ない」とし、ゴーン氏一人に権限が集中したことについても「ガバナンス(企業統治)に関しては猛省する」と述べた。

 犯した罪を見る限り、会社のカネで私腹を肥やしたゴーン氏は「悪人」に違いない。しかし、それでもなお、彼が日産、ひいては日本経済に与えた功績を考えれば、一面では「英雄」であったことも、認めざるを得ないだろう。そして、功績が確かだからこそ、従業員や関係者の「落胆」も大きい。
2018年10月20日、横浜市の日産自動車グローバル本社前に掲げられた(左から)日本国旗、フランス国旗、日産の旗
2018年10月20日、横浜市の日産自動車グローバル本社前に掲げられた(左から)日本国旗、フランス国旗、日産の旗
 三社連合という「壮大な実験」は画期的だった。しかし、この前代未聞の多国籍アライアンスは、ゴーン氏のリーダーシップなしには成立し得ないものだった。結果的に、体制そのものがガバナンスの留め金を外し、ゴーン氏に「やりたい放題」を許すことにつながった。

 ゴーン氏は、三社連合の世界販売台数について、22年に1400万台という予測を発表していた。しかし、ゴーン氏の失脚により、三社連合、さらに三社それぞれが多大な影響を受けるのは間違いない。今後、三社連合が崩壊し、日産の経営が傾くような事態になれば、それこそがゴーン氏の残す最大の「負の遺産」になるのかもしれない。