橋下 今の裁判システムに大きな問題があるというよりも、最高裁が憲法判断から逃げてしまうところが問題だと思っています。どれだけ時間をかけて国民全体で議論しても、最後に判断が出ない。だから議論に決着が付かない。これは国民、国家にとってプラスよりもマイナスのほうが大きいと思います。それだけの莫大なエネルギーを割いて行われた国民の間での憲法論議について、最高裁は責任を持って判断を下す態度が必要ですし、それができないというのであれば、できるような仕組みを模索していくことが政治の役割だと思います。

 憲法裁判所の判断は短時間に1回の裁判程度で出されることに懸念があるなら、ここは制度設計で乗り越えることもできるのではないでしょうか? 裁判の進め方や、憲法裁判所自体に二審制、三審制を入れるのか。ここはまさに手続き規定の定め方によると思います。また、最高裁裁判官人事のところは、木村さんとはちょっと意見が異なるかな。やはりどのような司法府を目指すべきかについては政治がきっちりと決めるべきだと思います。

 もちろん個々の裁判への介入はダメですが、憲法判断に積極的な司法府なのか、それとも消極的な司法府なのかなど。そのためには政治すなわち内閣が憲法の規定にしたがって最高裁裁判官人事をすべきだと思います。そしてその過程においては公聴会のプロセスをしっかりと設けるべきです。野党の一定の賛成が必要な3分の2の同意人事にするというのは検討に値するでしょう。しかしそれには憲法改正が必要ですね。

 政治介入という言葉がよく政治への批判で使われますが、逆に政治の不介入もよくない。政治の適切な介入が必要であり、それを実現していく手続きが立憲だと思います。

 司法府の独立を守るために最高裁裁判官は高度な身分保障が与えられています。いったん政治が選ぶと政治は例外的な場合を除いて解任できません。ゆえに、政治が一切介入しないとなれば、司法府は治外法権状態となってしまいます。そこで憲法は政治による司法府への介入の仕方として、最高裁裁判官の人事や、国会による弾劾裁判の仕組みを定めました。国民による介入は最高裁裁判官に対する国民審査制度です。そうであれば憲法に則って、政治は司法府に「適切に」介入すべきで、それこそが立憲だと思います。

木村 国家機関をすべて民主的コントロール下に置くのがよいかといったら、そうではないと思います。裁判官は「法と良心」にのみ拘束されれば、別段「治外法権になる」ということもないでしょう。

 日本の裁判制度は、「付随的審査制」をとっていて、裁判所は事件解決に必要な範囲でしか判断を示しません。具体的な法的紛争がないと判断しませんし、たとえ裁判になったとしても、ほかの論点で結論を出せるときには、わざわざ憲法判断を示しません。そうしたシステムに対して、裁判所にもう少し積極的に態度を示してほしいというのもわかります。ただ、裁判所の権限が大きくなれば、裁判に対する政治介入のインセンティブも大きくなるので、私は憲法裁判所の設置には慎重な立場をとっています。
東京地裁=東京都千代田区霞が関
東京地裁=東京都千代田区霞が関
 法令の合憲性判断についてもっと積極的に判断すべきという点に着目するなら、憲法裁判所を設置するのではなく、これまで内閣法制局がやっていた役割をもっとオープンにしていくのはどうでしょうか。 日本には憲法裁判所はありませんが、内閣法制局という内閣の補助部局が、法案提出の前に憲法違反にならないか、ほかの法令との整合性がとれているか、などをチェックしています。内閣法制局のメンバーは行政実務と法解釈に精通した人が多く、行政機関の内部組織とはいえ、諸外国における憲法裁判所の役割に近いことを担っていたように思います。