たとえば、国会の憲法審査会の諮問機関として、憲法の専門家会議を設置し、法制局の機能を果たしてもらうというのはどうでしょうか。議論を呼ぶ法案が出たら、国会がその会議に負託して、報告書を書いてもらうわけです。

 現在でも、国会の法案審議の段階で、専門家が参考人や公聴人として行くことはありますが、対話というよりも個人の意見を一方的に話すのが基本です。公聴会はかなり形骸化していて、これをきっかけに国会の議決が左右されることは、ほとんどないように思います。 

 本来であれば、もっと対話を通じて、「ベストな解」にいたるまでのプロセスを国民に示すべきだと思います。裁判所の判決もそうですが、合議体を作って、みんなで議論して文章をまとめるのは重要なプロセスです。もちろん個人の有識者が意見を述べることも大事ですが、それでは、一方的な発言を聞いて「あなたはそう思うのですね」というだけで終わってしまう。そうではなくて、専門家会議を作り、著名な憲法学者や法制局の担当経験者、元有力政治家たちが集まって、国民の問いに応えていくような形で、結論を文書にして出すプロセスそのものを見せるやり方があってもいいのではないでしょうか。

橋下 いろいろな意見があるなかでそれを合議でまとめていくのは、個人が一方的に個人的見解を話すのと違って、莫大な労力がかかりますよね。

木村 裁判は対立する当事者双方の言い分を聞いたうえで、裁判官が合議のうえで判断を示し、その判断理由も記録します。だからこそ判決に意味と説得力があります。

 たとえば、衆議院議員選挙の区割りを考える機関「区画審」(衆議院議員選挙区画定審議会)のような方法もありますよね。国会議員が直接区割りを考えると、自分の都合がいいように設定する危険があるので、諮問を受けた専門家が意見をとりまとめて国会の議長に出します。これを応用するような方法もあると思います。そうしていけば、付随的審査制とまったく矛盾しませんし、国会側も専門家とコミュニケーションをもっととれるはずです。そのようなことに憲法学者が参加していくことで、憲法学者もリアルな現場について考える能力を鍛えられると思いますね。

 日本の憲法学者は、気軽なんです。ドイツには憲法裁判所がありますから、有力な憲法研究者はその裁判官になり得る。自分が憲法判断の責任を負わなければならないという重圧のなかで研究します。一方、日本の憲法学者は、国立大学の教授に就くことはあっても、基本的には公職に就かなくてもいいんです。

橋下 日本の憲法学者は自由気ままなんですね(笑)。

木村 もちろん研究の幅が広がる、というよい面もあるのですが、いかんせん権力側との対話がなさすぎる。そうなると「権力が縮小すればいい」という方向だけが強調されがちです。だから、そういう場で切羽詰まった問題をみんなで考えて、自分の理論で人を説得する場が与えられるというのは、学者にとっても悪いことではありません。

橋下 非常に参考になりました。賛成できる部分とやっぱり違う部分がありますね(笑)。まず内閣法制局についてですが、彼ら彼女らの法律の知識、法解釈能力の高さは天下一品です。大阪府庁や大阪市役所にも法規担当部門がありましたがその能力はピカイチです。じゃあ、ここの判断にしたがえばいいじゃないかとも思えるのですが、そう簡単な話ではありません。これは今回の対談テーマの柱だと思っているのですが、立憲とは実体論と手続き論の合わせ技だということに関係してきます。