確かに内閣法制局や法規担当部の法律的な能力は高い。これは実体論です。しかしそれが絶対的に正しいのか、そしてその結論に国民が納得するのか。ここは手続き論だと思います。きちんと手続きを踏むから正しいと擬制できる、国民が納得してくれる。憲法9条の自衛権という実体権のみならず、政府への権限付与規定や手続き規定があって、自衛隊は行政活動とは異なる軍事的な行動をとることができる、というのと同じロジックです。

 裁判所の判決が一定の信頼を獲得できているのは、木村さんが言われるように判決に至るプロセスや、さらに裁判官の選ばれ方や司法府のあり方に対する権限・手続き規定をしっかりと踏んでいるからでしょう。裁判官や書記官になるには、試験に合格するだけでなく相当なプロセスを踏まなければなりません。

 ところが内閣法制局はどうでしょうか? 木村さんはこのプロセスをオープンに充実させればいいと提案されましたが、裁判所ほどのプロセスを踏むことは無理です。内閣法制局は、霞が関の省庁が日々提案する膨大な数の法案や政策、予算案について、迅速・的確・円滑に憲法や法令との適合性を判断しなければなりません。審議に裁判所ほどの手間をかけることはできないのです。そしてメンバーも、霞が関の人事で選ばれていきます。

 内閣法制局は、どこまでいっても中央省庁の一部門に過ぎません。だから、内閣への助言機関と位置付けられて、内閣法制局が最終判断を下すことはできないとされているのです。このような内閣法制局が最終判断を下しても国民は納得しないでしょうから、最後は内閣が最終判断を下すことになっているのが、現在の憲法や法律の仕組みです。

 知事、市長という巨大組織のトップを務めた経験から言うと、決定権と責任はワンセットでなければなりません。責任の重さに応じて強い決定権が与えられる。最終決定をするならそれだけの最終責任を負わなければならない。これは正しい決定を目指す実体論ではなく、最後にみんなが納得することを目指す手続き論です。正しいかどうかはわからないけど、みんながとりあえず納得することを目指します。ここは法制局のメンバーの能力とは全然関係ない話なんですよね。どれだけ能力があろうと、責任を負っていなければ決定権は持てないという話です。

 ここは凄く重要な話なのに、世間の多くは理解していないし、インテリの人たちも誤解している人が多い。インテリの人たちは、能力があればその人の意見に従え! という感じだからね。これは巨大組織を動かしたり、また膨大な人数の住民を納得させなければならない政治というものを経験したりすると嫌というほどわかります。
特別区設置協議会を終え、取材に応じる橋下徹・大阪市長と松井一郎・大阪府知事(右)=2014年12月30日、大阪市役所(沢野貴信撮影)
特別区設置協議会を終え、取材に応じる橋下徹・大阪市長と松井一郎・大阪府知事(右)=2014年12月30日、大阪市役所(沢野貴信撮影)
 僕は知事、市長のとき、役人や府民・市民から見るとかなり無茶な主張を通し、政策を実行してきました。反対する者も山ほどいました。それでも役所は実行し、大阪において暴動、内戦にはなりませんでした。それは僕が選挙で選ばれた知事、市長であり、役所内の意思決定のプロセスを踏んで、これまた選挙で選ばれた議会の議決というプロセスを踏んでいるからです。この民主主義の手続きは本当に大変なんですよ。

 僕は大量の学者やインテリの外部有識者を府庁や市役所に招きましたが、彼ら彼女らのほとんどはこのプロセスを踏むことに挫折してしまいます。自分でこれこそ最高の提案! と思っていても、プロセスを通過できない。結局僕が引き取って、僕がプロセスを通過させることになる。すなわち、どれだけ能力が高く、どれだけいい提案、主張、見解を述べても民主主義のプロセスを踏まないことには、それを最終決定にするわけにはいかないんです。そうでないと役人も有権者も納得しません。